なぜレオナルド・ダ・ヴィンチは人体解剖にどハマりしたのか?

目次

天才のすさまじい集中力

「いくらあなたが情熱的に取り組みたくても、胃が吐き気をもよおすかもしれないね。そうならなかったとして、皮膚を剥がされた八つ裂きの死体とひと晩過ごす恐怖を乗り越えなくてはならない。怖くなくても、図示するための描写力は別問題だ。デッサンの能力だけではダメで、遠近法の知識もいる。それがあったとしても、幾何学的な証明法や、筋肉の働きと強さの計算方法を知らないかもしれない。最後に、それを繰り返す忍耐力が必要。私が満足な研究結果を成し得たかは、研究ノートで判断してくれればいい。もし不完全だとすれば、それは怠慢のせいではなく、ただ時間がなかったのだと言い切れる」

この言葉は、『解剖手稿』というダ・ヴィンチのノートにある一節です。
ダ・ヴィンチは500年前のルネサンス時代に、動物や人間の解剖に熱中していました。解剖をするコンディションは、今日のような恵まれた環境ではなかったはずです。

「胃が吐き気をもよおす」と言っているように、すごい腐敗臭がしたことが想像されます。
そして、八つ裂きの死体という、恐ろしいグロテスクなビジュアルに向き合わなければいけません。嗅覚と視覚は共に最悪レベルです。

そこを何とか気合いで乗り切ったとしても、解剖した結果を記録するには正しく描ける美的センスが必要です。同時に、遠近法や幾何学、数学的な知識も必要であるとダ・ヴィンチは言います。つまり、感性と論理、右脳と左脳、両方のアプローチが必要ということ。ダ・ヴィンチは最終的に、30体もの人体解剖をしたと告白しています。1体だけでは客観性に欠けるため、繰り返し実験が必要です。恐ろしい現場で作業を根気よく続ける忍耐力がなければできないことです。一体なぜ、ダ・ヴィンチはこれほどまでに人体解剖に熱中できたのでしょうか?

もし、教科書が間違っていたならば

学校教育で、私たちはいろいろなことを学んできました。テストも教科書の中から出題されます。教科書は「答え」であり、ふつうはそこに書かれていることは正しいことだと思って学習します。しかし、大人になってみると、教科書に書かれていることが必ずしも正解ではないと気づくことがあります。ダ・ヴィンチは先哲に学びながらも、本当に教科書に書いてあることは正解なのか? 実際に解剖をして検証を始めました。とはいえ、解剖を始めた頃は、教科書の知識に引っ張られてしまい、誤った記述や人体デッサンを描いています。たとえば、頭部を垂直と水平に割ったデッサンがあります。よく見ると、脳の中に、楕円形の3つの物体が描かれていることがわかるでしょう。これはアリストテレスなどの古代の哲学者が誤った解剖学の知識に基づいて、脳内には、「想像」「思考」「記憶」という3つの独立した部屋があると信じられていたことに由来します。ダ・ヴィンチも実際に解剖で確かめるまでは、このような誤った情報に影響を受けてしまったのです。

『解剖手稿』レオナルド・ダ・ヴィンチ

他には、「女性の子宮には角が生えている」ということがまことしやかに信じられており、その発想に基づいてダ・ヴィンチもスケッチを残したのがこちらです。右に比べると格段にリアルな人体構造が描かれていますが、子宮部分から四方に飛び出る角があり、これも当時のテキストに書いてあることは正しいと思い込んでしまったからです。

『解剖手稿』レオナルド・ダ・ヴィンチ
『医事冊子』ケタム

ダ・ヴィンチは解剖をする中で、これまで常識として伝えられてきた数々の誤りに気づいていきます。そして、『解剖手稿』の中で時折出てくる言葉が「正確かつ完全な知識」です。

「私は血管についての正確かつ完全な知識を得るために10体あまりの人体を解剖した」

間違っている情報を正し、本当のありのままの姿を伝えるために全力を注いだのが解剖学者ダ・ヴィンチです。過酷な環境下で解剖に熱中できたのは、正しい人体構造を明らかにするという強い使命感があってこそ。人類に向けたメッセージとして、このような言葉を書き残しています。

「この恩恵を人類に与えるために、私は整然と復刻する方法をお伝えしよう。後世の人々よ、金を出し惜しみして木版で印刷しようなどと、ケチることはないようにお願いする」

ダ・ヴィンチが驚嘆した臓器

「至高の巨匠によって発明された驚嘆すべき道具」

心臓についてダ・ヴィンチが語った言葉です。
「右心房」「左心房」「右心室」「左心室」という4つの部屋に分かれていることを世界で初めて発見し記述したのがダ・ヴィンチでした。ちなみに、同時代の解剖学者が描いたスケッチがこちらです。

『解剖書』モンディーノ

中央にはMediaという名の心室がイメージで描かれていて、その周囲にある2つの円は僧帽弁(そうぼうべん)、3つの円は三尖弁(さんせんべん)を表現しています。なんともアバウトなスケッチです。

一方、「正確かつ完全な知識」を追求したダ・ヴィンチの心臓スケッチがこちらです。その差は火を見るよりも明らかで歴然としていますね。とても同時代に描いたスケッチとは思えないほど美しく正確な描写で、現代の医師が見ても息を呑む精巧な出来栄えです。

『解剖手稿』レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダ・ヴィンチが解剖に熱中したのは、まだ誰も正確に知らない人体構造を明らかにするためですが、それだけではありません。『解剖手稿』ではこのような記述も見つかります。

「子宮内に発生するときの人間の起源について記述せよ」
「霊魂とはどんなものかを記せ」
「私が人体の形状の描写を通じて、人の本性とその習性を解明する」

画家ゴーギャンの晩年の傑作に『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』という作品がありますが、ダ・ヴィンチも人体解剖を通して、人間存在そのものの謎を探求していたのです。人間にとって、最も知りたいのは他でもない人間であり、私という存在です。

無我夢中に知りたいことをとことん追求できる何かを持てた人は幸せ者です。ダ・ヴィンチを見習って好奇心を持って物事を探求してみましょう。それではまた!

夢中になれるものを見つけたら、もう半分勝ったようなもの。

旧:WEBマガジン・作家たちの電脳書斎 デジタルデン    2022年 6月 公式掲載原稿 
現:作家たちの電脳書斎デジタルデン 出版事業部 (https://digi-den.net/) 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次