百科事典の編纂(へんさん)に挑戦した偉人
ルネサンスが生んだ天才レオナルド・ダ・ヴィンチは、実にあらゆる分野の研究をしていました。一例をあげると、光学、解剖学、機械光学、熱学、音波学、地質学、天文学、幾何学、数学、土木工学、流体力学などです。
芸術家であり科学者、文理を横断する研究をしていたこの天才の頭の中は一体どうなっていたのか。私がダ・ヴィンチ研究を始めた動機の1つです。
今日失われてしまった分も含めると、ダ・ヴィンチは2万ページ以上の膨大なノートを書いていたと言われます。それはまさに、彼が探求した世界の記録であり、まるで前代未聞の百科事典を1人で編纂しようとしていたかのようです。
辞書を作る際、必要な作業があります。それは物事について正しく把握することもそうですが、意味を定義しなくてはいけません。
ダ・ヴィンチのノートをひもといてみると、どのように定義しようか、試行錯誤の跡がみられます。そして、この言葉の定義をするという作業自体、実にクリエイティブな行為であり、創造性や論理的思考力が磨かれます。
それでは、ダ・ヴィンチが定義をした言葉の事例を見てみましょう。
重力とは何か?
ダ・ヴィンチが、どう定義をしようかと必死になっていた言葉の1つに、重力があります。
リンゴが落下するのを見て、「万有引力の法則」を発見したニュートンの100年以上前の考察です。中には途中で文章が途切れているものもあります。マドリッド手稿というノートには、重力について13の定義がありますが、ちょっと多いのでそのうちの6つをご紹介します。
1
重力とは、元素の一部が、その物体中から引き出されて、
他の元素内に引き入れられたとき、もとに帰国(復帰)しようとする
ある欲求にほかならない。
2
重力とは、ある元素が移されて、他の元素内に押し込められ、
その場所から、絶え間なく押しでようとして脱獄を試みるある種の
突進力ないし脱走の欲求である。
3
重力とはある種の威力にほかならない。
4
重力とは、ある元素の部分が他の元素内に移されたときにもつ
ある脱走の欲求である。この欲求の目的はただ帰国にのみある。
5
重力とは、過激な運動によって生ずるある自然の力であり、
この運動は元素の一部が、物体から引き出されて、他の元素内に
引き入れられ、ないしは押しやられることで作られる。
6
重力とは、元素の部分が行った過激な運動から生ずるある自然な力である。
この運動とは、物体から引き出されて、
他の元素内に引き込まれ、ないしは押しやられることであり、
しかも、引き込まれた場所に、絶えざる圧迫のために定住しえず、
それに対立するすべてをつねに押さえつけようとすることである。マドリッド手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ
興味深いのは、重力という難しい概念を、「帰国」や「脱走」という擬人化の比喩を用いて説明しようとしているところです。
ところが3つ目では、凝った表現をやめて、シンプルに一言で表現しています。
そうかと思うと、4つ目では、「帰国」と「脱走」、両方の比喩を使用。5と6では、重力が“ある自然の力”であると、新しい意味合いで定義をしています。
このように、他人が決めた定義ではなく、自分の頭でひねり出した定義を考えることは、とても良い思考の訓練になります。
マイディクショナリーをつくる
私自身もダ・ヴィンチに影響を受けて、言葉を定義することに挑戦しました。
「おしゃれ」という言葉の定義です。
以前、「おしゃれ論」というテーマでプレゼンをしたことがあります。その際、そもそもおしゃれとは何なのか、自分なりに定義を考えてみました。
ちなみに、新明解国語辞典では、おしゃれとは「気のきいた服装や化粧」と定義されています。
最近は何か分からないことがあれば、「Google先生に聞いてみて」という会話もされるようになり、辞書を引くよりも、ネット検索で意味を調べようとします。そして、すぐに出てきた意味を知って納得して終わることが多いでしょう。
しかし、たとえばこの「おしゃれ」という言葉、辞書では服装や化粧に関する言葉とされていますが、それ以外にも使われている場面はないでしょうか?
「このパッケージおしゃれ!」とか、「おしゃれな本!」など、実際の用途は身なりを超えてもっと広いことに気づかされます。そこで自分なりに再定義をしてみました。
私が考えたおしゃれの定義は、
「物事に調和する色と形を理解し、世界観を演出するために洗練された組み合わせを実践すること」
です。
おしゃれの要素は、基本的には色と形で構成されていて、それが対象となる物事にマッチしているかどうかが問われます。そのため、少し長いですが、このように表現してみました。定義にたった1つの正解はないかもしれません。自分なりに考えるプロセスが大切なのです。
素直さに勝るものはない
ダ・ヴィンチがなぜ万能の天才と言われるようになったのか。その理由はいろいろと考えられると思いますが、外せない要因の1つは素直さにあります。
ダ・ヴィンチは、立派な芸術家になるために工房に弟子入りしていますが、描写の基礎を徹底的に学び、師匠を超える腕前になりました。教えを素直に受け止めてひたすら実践した証です。そして、その素直さは生涯続き、有名になって年老いても、自分より若い人からでもその人が優秀であれば学ぶ姿勢を貫きました。
私は以前、ある企業の社長が、「どんな人を採用するか?」と聞かれて、「素直な人です」と答えていたのが印象的だったのを覚えています。たとえスキルがなくても、素直ささえあれば後で身につけることができるからです。反対にスキルがあっても素直さがない人は、いつか成長が滞ります。
ぜひ、自分なりの言葉の定義を作ってみてはいかがでしょうか? やってみると意外と面白いのでおすすめですよ。
旧:WEBマガジン・作家たちの電脳書斎 デジタルデン 2023年 3月 公式掲載原稿
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