ダ・ヴィンチ研究者の桜川Daヴィんちです。
今回の記事では、私とダ・ヴィンチとの出会い、そして、もっとも多く寄せられる質問について書いていきたいと思います。
もっとも多い質問。
それは、
「なぜ(あなたの研究対象は)レオナルド・ダ・ヴィンチなのですか?」
という、そもそもの直球ストレートな質問です。
これに対して、私はいつもこう答えたいと内心思っています。
「なぜ、あなたはダ・ヴィンチではないのですか?」
と。私にとって、それほど魅力がある人物がダ・ヴィンチなのです。
次に聞かれるのが、
「芸大出身ですか?」
「大学院で研究始められたんですか?」
出身校や学部についての質問ですが、私の返答を聞いて、たいてい皆さん「え?」という顔をされます。
私が卒業した学部は法学部政治学科であり、大学院はアメリカ研究科に所属。
そして、私の修士論文のテーマは「アメリカに根付く尺八文化」でした。
実際に、フィールドワークでニューヨークの尺八道場に赴き、いろいろなアメリカ人尺八奏者にインタビューをして論文にまとめました。そもそもアメリカに尺八コミュニティがあるの? と思われる方もいると思いますが、実はひそかに存在しています。そして、実際にアメリカ人の先生が、アメリカ人の生徒に教えています。
その頃の私の興味は、今現在進行しているリアルな文化とは何なのか?
日本から特定の文化が海外に伝播したら何が変わって、何が変わらないのか?
という文化のグローバル化についてでした。
あるテレビ番組で、アメリカ人の尺八奏者が、「日本にはこんなに素晴らしい楽器があるのに、日本人はみんな知らない」と言っていました。私の研究の発端はそこにあります。
漫画やアニメ、スシが世界に広がっている現象は周知の事実ですが、日本の伝統楽器である尺八が海外の人たちに受け入れられたのは一体なぜなのか? 私はその理由を知りたかったのです。
詳細を書くと長くなるのでまたの機会に譲りますが、一言で言うならば、尺八という楽器は、「特殊性」と「普遍性」の2つを絶妙に兼ねそなえていた。海外の方にとって、日本的な独自性と世界でも通用する音楽性の両方が魅力的に映っていたようです。
そのどこにも500年前のヨーロッパ人、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」との接点は見つかりません。
私は博士課程の大学院に進学し研究者を目指していましたが、いろいろな事情が重なり研究者になることは諦めて、一般企業に就職をすることにしました。しかし、就職氷河期の真っただ中、文系の高学歴者であり、専攻と全く異なる広告・デザイン系を志望していた私を採用しようとするところはありませんでした
企業は即戦力となる人材、そしてできるだけ若い人物を求めていました。
そのため、大学生より大学院生はやや不利となります。
大学院生も理系ならいいものの、文系は敬遠される嫌いがあります。
修士課程ならいざしらず、博士課程となると絶望的。
私はそんな文系の博士課程に在籍していました。
同じ境遇で就活をしている人は周りに見当たりません。
誰とも分かち合うことができず、ただ一人、もくもくと光の見えない真っ暗なトンネルを走り続けていました。
選考に落ち続け、ひたすら闇が続き、見えるのは闇、闇、そして闇。曲がって見えた道も、やっぱり暗闇でした。私はこの時の心境を当時の日記に書いています。それがこちらです。
家に届く、郵便物の音が恐ろしい。
ゴトン。
不採用通知と履歴書の返却。持ち上げるだけ上げておいて、
あっさりと落とす面接の空間。
人間不信になれとでもいうかのように。「君のレベルだったら、
アシスタントのアシスタントからだ、
それでも来る気持ちはあるのか?」「お約束いたしましたので、
インターシップに来て頂くことはできますが、
採用の可能性は20%です、それでも良ければ・・・」大氷河のまっただ中、僕は漂流していた。
圧迫面接や最終面接にこぎつけての不採用、自分から辞退したこともありました。数えてみると、エントリーシートを提出した総数は85社。東京で就活する際は、格安のゲストハウスに連泊し、ドミトリーの2段ベッドで就寝。翌朝から数社を訪問。年始から始めて、ようやく最終面接をクリアしたのは年末の12月28日でした。
1年間の長い暗闇のトンネルを抜けた私は、正社員として4月から勤務することになるわけですが、社会人として働き始めると、なかなか海外旅行、特に遠方のヨーロッパには行けなくなると感じていました。
そこで、就職祝いを兼ねて母親と2人旅でフランスのパリに行くことにし、中でも楽しみにしていたのがルーヴル美術館でした。
ルーヴルには、常時35,000点もの作品が展示されていて、最も有名な作品はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『モナ・リザ』です。
私も一目見ようとまず『モナ・リザ』目がけて早足で歩いていたのですが、『モナ・リザ』にたどり着くまでに1枚だけ気になる絵に遭遇しました。ふとその絵が目に飛び込んできて、早足で歩く私の足は即座に強制ストップ。それは不思議な人物画でした。
そして、その人物画は私の人生を変えることになります。人生はどんな人に出会うかで大きく変わります。私もいろいろな出会いによって人生が形成されていますが、“絵の中の人”に人生を変えられたのは初体験でした。ぜひ皆さんにも、人生を変えるような「邂逅」をして頂きたいと願っています。
さて、果たして私の人生を変えた絵はどんな人物画だったのか?
続きは後編でご紹介いたします。 ー つづく ー
旧:WEBマガジン・作家たちの電脳書斎 デジタルデン 2021年 3月 公式掲載原稿
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