ダ・ヴィンチのウィトルウィウス的人体図をわかりやすく解説

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ウィトルウィウス的人体図とは

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作者   レオナルド・ダ・ヴィンチ
製作年  1487年頃
種類   紙にペンとインク
寸法   34.4cm × 25.5cm
所蔵   ヴェネツィアのアカデミア美術館

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品で、「もっとも有名な作品を3つ挙げろ」と言われれたら、

『モナ・リザ』、『最後の晩餐』に並んで、『ウィトルウィウス的人体図』がランクインするでしょう。

『モナ・リザ』や『最後の晩餐』などの絵画と違って、単色でスケッチされたものでありサイズも小さい。

ちょうど紙のサイズで言うと、B4サイズに近いくらいの紙に描いてあります。

『ウィトルウィウス的人体図』は、2人の肉体が重なっており、その手足が円と正方形に接しています。

奇妙な構図がインパクトを与えたのか、世界中でパロディ作品が数えきれないほど創造されている。

日本でも、トトロやピカチュウなどのキャラクターに加え、阿修羅像や相撲力士もパロディ化されている。

それほど想像力を掻き立てるモチーフなのです。

一体、ダ・ヴィンチは何のためにこの不思議な人体図を描いたのだろうか?

今回の記事では、わかりやすく『ウィトルウィウス的人体図』について解説をしていきます。

ウィトルウィウスって何?

『ウィトルウィウス的人体図』のウィトルウィウスとは、ローマ帝国時代の建築家の名前に由来しています。

生没年は不詳ですが、紀元前1世紀、今から2,000年以上も前に活躍した人物です。

実は、この人体図はダ・ヴィンチの発案ではなく、元々ウィトルウィウスが考案していたものを、

ダ・ヴィンチが視覚化したもの。

では建築家であるウィトルウィウスは、なぜこのような人体に興味を示していたのか?

そのことについては、ウィトルウィウスは『建築書』という本を書き残していますので、

その内容を引用します。

『建築書』は日本語にも翻訳されており、大昔の書物が今日まで語り継がれているのです。

ウィトルウィルスの『建築書』について

『建築書』は、『建築十書』とも言われ、十の内容から構成されています。

  • 建築家の資質、建築の原理・原則
  • 建築の歴史・材料
  • 神殿の構成、イオーニア式神殿
  • コリントゥス式、ドーリス式神殿
  • 劇場と音響
  • 町の家屋、田園の家屋
  • 内部装飾、色
  • 星座、日時計
  • 機械技術、軍事技術

これらの内容を見てわかるように、ウィトルウィウスは建築のみならず幅広い見識を備えていた人物だったようです。

人体図の元になった文章については、3番目の神殿の構成のところで語られています。

建築書の全体の文章からすると、ほんの一部の内容です。

ウィトルウィウス的人体図は黄金比ではない!?

ウィトルウィウスは、『建築書』の中で、建築と人体の関係性についてこのように提唱しました。

神殿の設計はシンメトリーを基本とするため、均整のとれた人間のように、正確な比例関係を維持する必要がある。

その正確な比例関係を、体の部位の長さを調査し、比較して詳説しています。

容姿の立派な人間に似るように各肢体が正確に割付けられているのでなければ、いかなる神殿も構成の手段をもちえない。

実に、自然は人間の身体を次のように構成した――頭部顔面は顎から額の上毛髪の生え際まで十分の一、同じく掌も手首から中指の先端まで同量。頭は顎からいちばん上の頂まで八分の一、首の付け根を含む胸のいちばん上から頭髪の生え際まで六分の一、胸の中央からいちばん上の頭頂まで四分の一。顔そのものの高さの三分の一が顎の下から鼻孔の下までとなり、鼻も鼻孔の下から両眉の中央の限界線まで同量。この限界線から頭髪の生え際まで額も同じく三分の一。足は、実に、背丈けの六分の一、腕は四分の一、胸も同じく四分の一。その他の肢体もまた自分の計測比をもち、昔の有名な画家や彫刻家たちはそれを用いて大きな限りない称賛を博したのである。

これと同様に、神殿の肢体は個々の部分を総計した全体の大きさに最も工合よく計測的に照応しなければならぬ。人体の中心は自然にである。なぜなら、もし人が手と足を広げて仰向けにねかされ、コムパスの先端がその時に置かれるならば、円周線を描くことによって両方の手と足の指がその線に接するから。さらに、人体に円の図形がつくられるのと同様に、四角い図形もそれに見いだされるであろう。

すなわち、もし足の底から頭の頂まで測り、その計測が広げた両手に移されたならば、定規をあてて正方形になっている平面と同様に、同じ幅と高さがそこに見出されるであろう。

よく、『ウィトルウィウス的人体図』が黄金比で表されていると言われることがあります。

黄金比とは、最も美しく感じる 1:1.618 で表される比のことをいいます。

パルテノン神殿にも応用されている古代から知られている比率です。

黄金比については、別の記事でも解説をしていますので、こちらもご覧ください。

そして、諸説ありますが、『ウィトルウィウス的人体図』の円の半径と正方形の一辺に対する比率は黄金比にはなっていません。

法則的な人体の比例、そして円と正方形におさまる調和バランスを黄金比と混同してしまったのではないかと思います。

ウィトルウィウス的人体図の意味と足の謎について

『ウィトルウィウス的人体図』は黄金比を体現した人物スケッチではなく、古代ローマの建築家ウィトルウィウスが考察した人体の普遍的なプロモーションを視覚化した作品であることを解説してきました。

ダ・ヴィンチは、ウィトルウィウスに学んだことを視覚化しただけなのかというと、実は違います。

実はこの人体図には、いくつか変更点が加えられています。

ウィトルウィウスは、人体はおへそを中心として円と正方形に接すると考えていました。

しかし、ダ・ヴィンチが描いた人体図の正方形は、おへそではなく男性器を中心として描かれています。

さらに、ウィトルウィウスが足の長さは身長の6分の1と記述していた部分を、

実際に計測し直して、身長の7分の1に変更しています。

こうして修正を加える形で、ウィトルウィウスが構想した人体図を精度の高いものにしたのです。

実はこのすでにあるものを修正して洗練させるという方法は、ダ・ヴィンチの王道パターン。

『最後の晩餐』も同様のプロセスで描かれていることを解説していますので、こちらもよければお読みください。

ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』の意味や裏切り者などの人物をわかりやすく解説

さて、実はこの人体図、よく見ると不思議な箇所があります。

それは直立して立っている方の人体の左足の部分です。

かなり不自然な方向に曲がっていますよね。

ダ・ヴィンチはなぜこのような描き方をしたのでしょうか?

ダ・ヴィンチと同じく、ウィトルウィウスの人体図の視覚化をした建築家に、

フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニというイタリア人がいます。

彼も『建築書』を執筆しており、そこに足の側面図が描かれています。

足の側面図は、計測の基本単位となるものさしで、スケッチとは別に描かれていました。

ダ・ヴィンチはマルティーニと親交があり、マルティーニの『建築書』を読んで勉強をしていました。

そしてダ・ヴィンチは、側面図も作品の中で人体図と一緒に融合させてしまったのです。

足が1本だけ、側面に不自然に曲がっているのはそのためです。

ウィトルウィウス的人体図の宇宙観

人体の普遍的なプロモーションを視覚化した『ウィトルウィウス的人体図』。

実はこの作品にはもっと深い意味が込められています。

人体図は、円と正方形の内部に描かれているわけですが、この円と正方形は単なる図形の意味にとどまりません。

古代の哲学者は、特別の意味を持たせてきました。

円は「天」を、正方形は「地」を表すと考えられ、天地を合わせるとすなわち「宇宙」を意味します。

宇宙の中心にいるのが人間。

ルネサンス時代は、神中心の時代から人間中心の時代へ移行する転換期を迎えています。

ダ・ヴィンチは、『ウィトルウィウス的人体図』を通して、時代を作っていくのは、

自分達人間であると宣言したかったのかもしれません。

ウィトルウィウス的人体図の来歴

レオナルド・ダ・ヴィンチの死後、弟子のメルツィが師匠の遺したすべてのスケッチを、まるで聖遺物のように保管していたと言われている。その遺産の中に『ウィトルウィウス的人体図』も含まれていたはず。

メルツィの死後、散逸することになるが、『ウィトルウィウス的人体図』はミラノにあり、

1770年に、ヴェンナンツィオ・デ・パガーヴという人物が、個人的に制作した二つ折りの本形式の素描集に所蔵されていたといいます。パガーヴによると、ミラノの大司教から贈られたものだそうです。

その後、このダ・ヴィンチの素描集は、ミラノ人の美術史家であるジュゼッペ・ボッシという人物に譲渡。

『ウィトルウィウス的人体図』を気にっていたボッシは、1810年にこの人体図を印刷。

ボッシが1815年に亡くなった後、この素描集を手に入れたのが、現在所蔵しているヴェネツィアのアカデミア美術館。

しかし、その後もあまり陽の目を見ることがなく、

『ウィトルウィウス的人体図』が一般大衆に広く知られるようになったのは、ダ・ヴィンチ研究に精通しているイギリス人美術史家のケネス・クラークの著書がベストセラーになった1956年以降。

実は、なかなか遅咲きの名作なのです。

ウィトルウィウス的人体図が世の中に与えた影響

不思議なことに、この人体図は、医学に関連するシンボルマークとして用いられるようになっています。

元々、建築由来の人体図なので、医学との直接的な関係性はないものの、

ダ・ヴィンチは解剖図なども描いているため、

同じ裸体の『ウィトルウィウス的人体図』が、シンボルマークとして採用された可能性があります。

実際に、1879年、日本では医術開業試験が行われ、その100年後に医療文化100年を記念した学会が開催されており、『ウィトルウィウス的人体図』が採用されています。

その他、日本では、かつてdocomoのiDカードのロゴマークとして『ウィトルウィウス的人体図』が採用されています。

イタリア人が生み出したスケッチが遠く海を越え、日本にも影響を与えているのです。

ウィトルウィウス的人体図と『解体新書』を比較

先ほども書いたように、『ウィトルウィウス的人体図』は元々は医学とは関係がありません。

しかし、精緻な裸体の描写から解剖を連想する人も多いようです。

実際にダ・ヴィンチは解剖学の知識を元に人物を描いていましたし、知識だけではなく人体も30体以上解剖していたことを告白しています。

眼球の解剖では、視神経十字(視神経の交差点)を世界で最初に発見したと言われていますし、毛細血管というワードもダ・ヴィンチが最初に使ったのではないかなど、知られざる医学的な功績を残しています。

日本では、『解体新書』という医学書が有名ですが、これは元々、ドイツ人医師のヨハン・アダム・クルムスの医学書を翻訳した書物です。

日本最初の西洋医学の翻訳書として知られています。

出版されたのは、1774年であり、ダ・ヴィンチが解剖手稿を書いていた250年以上も後のことです。

そう考えると、全身の解剖に挑戦し、人体の仕組みを明らかにしようとしていたダ・ヴィンチは、いかに時代を先取りしていたかがわかります。

わずか1分しか見れない“超絶希少な絵”を間近で見てきた話

『ウィトルィウス的人体図』は、イタリアのヴェネツィアにあるアカデミア美術館に所蔵されていますが、実は普段は公開されていない。6年に1度、2週間しか展示されないという究極の秘蔵作品。

ダ・ヴィンチ没後500年の2019年、期間限定(7月に終了)でアカデミア美術館で公開されると知り、私はすぐさまイタリアに直行。

アカデミア美術館内部には、ダ・ヴィンチメインのフロアがあって、その中心に何やら行列ができていました。

他のフロアは写真OKなのに、この階だけ写真NG

知らずに写真を撮っていると、黒人で長身の警備員が近づいてきて、

「ディリート、ディリート、ディリート!」

と画像削除のチェックが入りました。

仕方なく削除すると、何事もなくその黒人の警備員は去っていった。

『モナ・リザ』さえ写真OKなのに、よほど特別視されていることが分かります。(ヨーロッパの美術館は、日本と違い、フラッシュなしなら大抵撮影OK

中心にできていた行列の先には何やら黒いヴェールがかかった囲いがあり、そこに今回の目玉である『ウィトルウィウス的人体図』が展示されていました。

その黒い囲いは、等身大の1人の人がのぞけるスペースしかなく、また、左右からも見ることもできない。

そのため、絵を見るためには、どうしても長い列に並ぶ必要があります。

ようやく自分の番がきても、背後にも長蛇の列が出来ているため、せいぜい1分間見るのが限度。

『最後の晩餐』ですら、15分間だけ見ることが許されているのに、『ウィトルウィウス的人体図』は、わずか1分。

そんな特別すぎる絵は世界探してみても、きっと他にはないでしょう。

『ウィトルィウス的人体図』は、「洗練の極み」であり、「ダ・ヴィンチのメッセージ」であり、時代を超えて大衆を魅了する「人類のシンボル」なのです。

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