レオナルド・ダ・ヴィンチとは?天才のすべてを5つの視点から迫ります

レオナルド・ダ・ヴィンチは、全てにおいて優れており、万能の天才と言われています。

さらに様々な天才エピソードや、天才ゆえの挑戦などが伝わっています。

そこでよりダ・ヴィンチの全体像、どれほど天才なのかということがわかるように、5つの視点からダ・ヴィンチの天才像を明らかにしたいと思います。

目次

1.天才の素顔と実像: レオナルド・ダ・ヴィンチとは? 

レオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネサンス期を代表する人物であり、画家、彫刻家、建築家、科学者、発明家など、多岐にわたる分野で才能を発揮しました。

彼は、1452年にイタリアのヴィンチ村で私生児として生まれ、幼少期から芸術的な才能を示しました。14歳頃にフィレンツェに出て、ヴェロッキオの工房で修行を積み、画家としての基礎を築きます。

ダ・ヴィンチは、絵画の分野で特に有名であり、『モナ・リザ』や『最後の晩餐』などの傑作を生み出しました。 これらの作品は、写実的な表現、繊細な色彩、そして人物の心理描写において、非常に高い評価を受けています。

特に『モナ・リザ』は、その神秘的な微笑みと完璧な構図で、世界で最も有名な絵画の一つとなっています。

『モナ・リザ』について、詳しくはこちらをご覧ください。

あわせて読みたい
「モナリザ」は何がすごい?微笑みに込めた作者の謎と意味を解説 「モナ・リザ」を描いた人は誰か? 世界で最も有名な絵画として知られる『モナ・リザ』。その作者はルネサンスの万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチです。 ダ・ヴィン...

 天才の素描と手稿

ダ・ヴィンチは絵画だけでなく、科学や発明にも深い関心を持っていました。

彼は、人体解剖を行い、筋肉や骨格、内臓の構造を詳細に研究しました。 これらの研究は、彼の絵画における人体表現に大きな影響を与えただけでなく、医学の発展にも貢献しました。

また、彼は飛行機械、戦車、潜水艦など、様々な機械の設計図を残しており、その独創的なアイデアは、現代の科学技術にも通じるものがあります。

ダ・ヴィンチの発明品や設計図について、詳しくはこちらをお読みください。

あわせて読みたい
レオナルド・ダ・ヴィンチの発明品や設計図を紹介 今回は、レオナルド・ダ・ヴィンチの発明品や、スケッチに残された設計図などについて紹介します。 ダ・ヴィンチは、当時から飛行機やヘリコプター、戦車、自転車、潜水...

ダ・ヴィンチは、生涯を通じて探求心と好奇心を持ち続け、芸術と科学の両分野において、革新的な業績を残しました。

彼の才能は、ルネサンスの理想とする「万能の天才」を体現しており、後世の人々に多大な影響を与え続けています。

また、現存している手稿やスケッチは、彼の思考や創造の過程を理解する上で非常に貴重な資料といえます。

ダ・ヴィンチの作品や人物像は、小説や映画などのフィクション作品にも取り上げられており、彼の人気は没後500年が経過した現代においても衰えることを知りません。 2025年には、脚本家・演出家の小林賢太郎氏によるオリジナル舞台『学芸員 鎌目志万とダ・ヴィンチ・ノート』が開催されました。

実際に足を運んで見てきた舞台の感想も書いていますので、よろしければお読みください。

あわせて読みたい
舞台「学芸員 鎌目志万とダ・ヴィンチ・ノート」小林賢太郎作品が超面白かった話 舞台「学芸員 鎌目志万とダ・ヴィンチ・ノート」とは 舞台「学芸員 鎌目志万とダ・ヴィンチ・ノート」は、脚本家・演出家の小林賢太郎が手がけたオリジナル作品です。 ...

一体、あらゆる才能を発揮したレオナルド・ダ・ヴィンチは、どのような生涯を過ごしたのでしょうか。

2.天才の軌跡:レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯

レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年4月15日、イタリアのフィレンツェ近郊のヴィンチ村で生まれました。父は公証人のセル・ピエロ・ダ・ヴィンチ、母は農夫の娘カテリーナで、2人は身分の違いゆえ、結婚には至らなかったと言われています。ダ・ヴィンチは父方に引き取られ、祖父と叔父に可愛がられて育ちました。

幼少期については不明な点が多いものの、絵画や音楽の才能に恵まれ、14歳でフィレンツェの一流工房に弟子入りしました。20歳で画家組合に登録されて一人前の画家として認められましたが、独り立ちするのは早かったのか、その後も工房に残って技術を磨きました。

1476年には男色行為疑惑で逮捕されるも無罪放免となり、1478年には聖母画を描き始めるなど、徐々にその才能を開花させていきました。1481年には修道院から祭壇画の依頼を受けますが、未完のままミラノへ移り、新たな活躍の場を求めます。

ミラノでは、宮廷音楽家や建築家として活躍し、フランチェスコ・スフォルツァの騎馬像制作や『最後の晩餐』の完成など、数々の業績を残しました。しかし、1499年にフランス軍がミラノを占領したため、各地を転々とした後、1500年頃にフィレンツェへ戻りました。

フィレンツェでは、『聖アンナと聖母子』や『モナ・リザ』の制作に取り組み、軍事土木技師としても活躍しました。しかし、1506年には再びミラノへ移り、ルイ12世に仕え、絵画制作や研究に没頭しました。

その後、1513年にローマへ移りましたが、ミケランジェロやラファエロなどのライバルの台頭や解剖実験の中止など、不遇な時代を過ごしました。1516年にはフランスへ移住し、フランソワ1世の庇護のもとで余生を過ごし、1519年5月2日に67歳で亡くなりました。

ダ・ヴィンチの死因については、こちらをご覧ください。

あわせて読みたい
レオナルド・ダ・ヴィンチの死因:謎に包まれた最期 レオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネサンス期のイタリアを代表する芸術家であり、建築、音楽、解剖学、工学、彫刻、幾何学、絵画など、多岐にわたる分野で才能を発揮した...

ダ・ヴィンチは生涯独身で、妻や子孫はいませんでしたが、愛弟子のメルツィを始め、多くの人々に愛されました。彼は画家、科学者、技術者など、多岐にわたる分野で才能を発揮し、ルネサンス期を代表する人物として、後世に多大な影響を与えました。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯について詳しくはこちらの記事をご覧ください。

あわせて読みたい
レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯(本名や妻、子孫等)解説 レオナルド・ダ・ビンチの生涯のほとんどは異国を遍歴しており、“さまよえるフィレンツ人”と呼んだ人もいます。 今回は、レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯、また妻や子孫...

さらに、年表についてはこちらをお読みください。

あわせて読みたい
【年表】レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯と日本史・世界史比較 ここでは、レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯と、日本史、世界史を比較した年表を掲載しています。 年代(ダ・ヴィンチ年齢)レオナルド・ダ・ヴィンチ     日本史 ...

では、レオナルド・ダ・ヴィンチは生涯でどのような功績が残っているのか、について解説します。

3.天才の証明:レオナルド・ダ・ヴィンチの功績

レオナルド・ダ・ヴィンチの現存し、真作と認められる作品は15点前後といわれています。

以下の作品です。

『受胎告知』

 大天使ガブリエルが聖母マリアにキリストの懐妊を告げる場面を描いた作品。

『カーネーションの聖母』

 聖母マリアが幼子イエスを抱きかかえる姿を描いた作品。

『ブノワの聖母』

 聖母マリアが幼子イエスと遊ぶ姿を描いた作品。

『ジネヴラ・デ・ベンチの肖像』

フィレンツェの貴婦人ジネヴラ・デ・ベンチを描いた肖像画。

『聖ヒエロニムス』

荒野で苦行する聖ヒエロニムスを描いた作品。

『東方三博士の礼拝』

幼子イエスを礼拝する東方三博士を描いた作品。

『岩窟の聖母(パリ版)』

洞窟の中で聖母マリアと幼子イエス、洗礼者ヨハネが描かれた作品。

『音楽家の肖像』

音楽家を描いた肖像画。

『白貂を抱く貴婦人』

白貂を抱く貴婦人を描いた肖像画。

『ラ・ベル・フェロニエール』

宮廷の女性を描いた肖像画。

『最後の晩餐』

イエス・キリストが最後の晩餐をとる場面を描いた作品。

『モナ・リザ』(ラ・ジョコンダ)

 微笑む女性を描いた世界一有名な肖像画。

『聖アンナと聖母子』

聖アンナ、聖母マリア、幼子イエスを描いた作品。

『岩窟の聖母(ロンドン版)』

洞窟の中で聖母マリアと幼子イエス、洗礼者ヨハネが描かれた作品(パリ版とは異なるバージョン)。

『洗礼者ヨハネ』

 洗礼者ヨハネを描いた作品。

『バーリントンハウス・カルトン』(聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ)

聖アンナ、聖母マリア、幼子イエス、幼児の洗礼者ヨハネを描いた作品。

【真作かどうか議論がある作品】

『美しき姫君』

『サルバトール・ムンディ』(救世主)

『バッカス』

『糸巻きの聖母』

【彫刻作品】

『少年キリスト像』

消失・複製された作品

『レダと白鳥』

『アンギアーリの戦い』

以下の記事では、上記のような絵画作品16点と彫刻、失われた絵画を紹介しています。

あわせて読みたい
レオナルド ダ ヴィンチ芸術作品一覧(絵画・彫刻) レオナルド・ダ・ヴィンチの作品数は、15品前後と言われることが多いです。 今回は、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画作品16点と、彫刻、失われた絵画を紹介していきます...

次に、ダ・ヴィンチが偉大な功績を残した思考法について解説していきます。

4.天才の源泉:レオナルド・ダ・ヴィンチの思考法

レオナルド・ダ・ヴィンチの思考法の特徴をあげるならば、以下の5つが考えられます。

1.飽くなき探究心

ダ・ヴィンチは、幼い頃から非常に好奇心が強く、身の回りのあらゆる事物に対して「なぜ?」「どうして?」という疑問を持ち続けていました。

既存の知識や常識、権威に安易に頼るのではなく、自ら観察し、考え、理解しようとしました。

この根源的な探究心こそが、彼の独創性の源といえます。

2.詳細な観察力

ダ・ヴィンチは、非常に優れた観察眼を持っていました。彼は、対象物を漫然と眺めるのではなく、細部にまで目を凝らし、注意深く観察しました。

 例えば、絵画制作のために人体を解剖したのも、単に知識を得るためだけでなく、実際に自分の目で確かめ、細部まで観察することで、より正確でリアルな表現を追求するためでした。

3.実験による検証

ダ・ヴィンチは、机上の空論を嫌い、常に実験によって自らのアイデアを検証しました。 

様々な機械装置や飛行機械の設計図を考案しましたが、それらは単なる空想ではなく、実際に機能するかどうかを試すための実験的な設計図でした。

この実験精神こそが、彼の発明家としての才能を開花させました。

4.分野を超えた思考

ダ・ヴィンチは、芸術、科学、工学といった異なる分野を横断的に思考することができました。 

彼は、それぞれの分野で得た知識や 認識を相互に活用することで、より深く、より多角的な理解を達成しました。例えば、人体解剖で得た 知見は、絵画における人体表現だけでなく、機械工学における人体運動の理解にも応用されました。

5.絶え間ない向上心

ダ・ヴィンチは、現状に満足 せず、常によりよいもの、 新たな境地を目指し続けました。 彼は、未完成の作品を多く残していますが、それは決して手を抜いていたわけではなく、常に理想を追求するあまり、完成することができなかったともいえます。この絶え間ない向上心こそが、彼を常に革新へと駆り立てる原動力でした。

ダ・ヴィンチの思考について詳しくはこちらの記事をご覧ください。

それでは、私たちがこのような思考法を身につけるには、どうしたらいいのでしょうか?

ダ・ヴィンチの万能性の背景を見ていきたいと思います。

5.天才に学ぶ:天才になれた理由

レオナルド・ダ・ヴィンチの天才性は、単に生まれ持った才能だけでなく、彼自身の思考法や習慣、そして情熱によって培われたものでした。

彼の万能性の背景には、ルネサンス期の画家に対する万能であることへの期待、そして、ダ・ヴィンチ自身の好奇心、素直さ、頑固さという3つの資質があったと考えられます。

これらの資質によって、彼は目標を達成するために必要な努力を惜しまず、様々な分野で才能を開花させることができたのです。

天才になれた理由について、以下の記事をお読みください。

あわせて読みたい
ダ・ヴィンチが万能の天才になれた意外な理由 なぜ万能の天才はレオナルド・ダ・ヴィンチだけなのか? レオナルド・ダ・ヴィンチ=万能の天才 万能の天才=レオナルド・ダ・ヴィンチ という公式があります。 モーツ...

レオナルド・ダ・ヴィンチの天才性について5つの側面から解説をしてきました。当ブログは、ダ・ヴィンチ研究者がレオナルド・ダ・ヴィンチについての記事を専門にたくさん書いておりますので、より興味を深めたい方は、気になる記事から読んでみてください。何か参考になりましたら幸いです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次