理想都市とは?天才ダ・ヴィンチが考えた構造

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感染症に立ち向かう芸術家がいた

「文芸復興」と言われ、豪華絢爛(けんらん)な文化が生まれたルネサンス時代。そんなきらびやかな側面がある一方で、今日のコロナ禍のように、ペスト禍で苦しむ時代でもありました。500年前は今ほど医学も発達しておらず、ペストは神の怒りだと考えられており、死体の周りで祈ったり、間違った治療法が横行していました。

1484年には、ミラノではなんと人口の3分の1の命が失われたといいます。そんな状況を見かねて立ち上がった1人の芸術家がいました。

ミケランジェロ、ラファエロと並び、ルネサンス3大巨匠の1人に数えられるレオナルド・ダ・ヴィンチです。

ダ・ヴィンチと聞くと、『モナ・リザ』を描いた画家、というイメージが一般的です。しかし、画家という1つのカテゴリーにはおさまらない万能人として当時から知られていました。

芸術分野のみならず、乗り物の発明や人体解剖など、多彩な活躍をしていましたが、中でもあまり知られていないことの1つが都市計画です。一体、ダ・ヴィンチはどのような意図で都市構想をしたのでしょうか?

レオナルド・ダ・ヴィンチ理想都市模型展

静岡文化芸術大学のギャラリーで、ダ・ヴィンチが構想した都市計画の模型展が開催されました。

▷ 「レオナルド・ダ・ヴィンチ理想都市模型展」 
場所:静岡文化芸術大学ギャラリー
期間:2022年11/17(木)〜12/11(日)

展示された模型は、元々ダ・ヴィンチ生誕500年を記念して、イタリアのレオナルド記念国立科学技術博物館が設立される際に、アルベルト・マリオ・ソルダティーニという人が制作したものです。ダ・ヴィンチ本人が制作したものではないのですが、パリ手稿Bにスケッチされていた内容に基づいています。


パリ手稿Bには断片的なスケッチが残されているだけで、ダ・ヴィンチが都市全体をスケッチしたものは残されていません。そのため、全体の構図にはソルダティーニの意図が加わっていますが、いくつかダ・ヴィンチの考えたポイントが反映されています。

まず1つは、3層構造になっている点です。

ペストの蔓延を防止するには、都市を高層化して陽当たりと風通しを確保し、人や動物の通り道を分けるべきだとダ・ヴィンチは考えました。そこで上の通路は上流階級の人たち、下の通路は家畜を含む労働者、そして、荷物やゴミを運ぶ運河に分類。このような分離の発想は、20世紀の考え方の先駆けとなっており、公衆衛生学的な視点が踏まえられているのです。道路をよく見ると勾配がついていて、雨水がはけられるようになっています。

パリ手稿B レオナルド・ダ・ヴィンチ


ちなみに別の手稿には、建物の安全面や衛生面に配慮して、ダ・ヴィンチはこのように言っています。

「大勢の人が踊ったり、あれこれ飛び跳ねたり動き回ったりする部屋は地上階になければならない。というのも、そうした部屋が崩壊して多くの人が死んだのを見たことがあるからである。特に、壁がどれほど薄くてもあらゆる壁は、地面か、しっかりとつくられたアーチの上に土台を持つようにすること。
居住空間の中2階の部屋は、火災の危険があるために木材を使わず、幅の狭いレンガでつくった壁で仕切ること。便所はすべて、壁の厚みの中の通気孔を通して排気し、空気が屋根から抜けるようにすること。便所は数多く設け、互いにつなげるようにする。そうすれば悪臭は住居に漂ってこない。また便所の扉にはすべて釣合重りをつけ、扉がしっかり閉まるようにすること」
アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

芸術家の構想と聞くと、見た目のこだわりに傾きがちな気がしますが、ダ・ヴィンチは日常の暮らしを想定した実用性に注目していたことがわかります。寸法のサイズまで書き込みがされているほどです。

しかしながら、せっかく構想をしてはいたもの、残念ながらダ・ヴィンチの都市構想は実現には至っていません。まだ時代がダ・ヴィンチの発想に追いついていなかったのかもしれません。

五感を刺激する街づくり

ダ・ヴィンチの構想した街は、ペストを防ぐための衛生都市ですが、同時に芸術家ならではの構想があったこともご紹介いたします。

それは、一言で言うと五感を刺激した街づくりです。

衛星都市の記述があるパリ手稿Bには、四重螺旋階段と二重螺旋階段のスケッチがあり、模型の展示もありました。

四重螺旋階段 パリ手稿B レオナルド・ダ・ヴィンチ  / 模型
二重螺旋階段 パリ手稿B レオナルド・ダ・ヴィンチ  /   模型

このような螺旋階段の仕掛けを考えたのは、身分の違う人が出会わないようにするため、という見方もありますが、幾何学的な研究に打ち込み、画家として視覚にこだわっていたダ・ヴィンチの想いが反映されていたとも考えられます。

視覚のみならず、ダ・ヴィンチは街づくりに嗅覚や聴覚も取り入れることを意識していました。

たとえば、庭園を設計する際、泉水(池)を設け、水車や噴水の仕掛けを考案してこのように言っています。

「泉水のほとりの草は何度も刈られねばならない。砂利を敷いた底まで水が清らかに見えるように。ただクレシオニ草その他同種の草のように魚の餌になる草だけ残しておく。魚は水を濁さぬようなものに限らねばならない、すなわちウナギやフナ、カマスを入れてはいけない。他の魚を殺してしまうから・・・。

上にはごく細い銅の網を張る。それは庭を覆うだろうし、その下にはさまざまな種類の小鳥をたくさん飼っておく。そうすれば、糸杉やレモンの花の香りとともに、不断の音楽を楽しむことができるだろう。水車によってさまざまな楽器を絶えず鳴らそう。その楽器はその水車のめぐっているかぎり奏でるであろう」
アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

美しい透明感ある見栄え、華やかな香り、そして、心地よい音楽。

何とも豊かな空間ではないでしょうか。

衛生面にも配慮して安全性を確保し、日々人々が平和に暮らしていけるような楽園。それこそがダ・ヴィンチの理想郷。コロナ禍の現代でも取り入れることができる発想ではないかと思います。実用性と豊かな感性を両方兼ね備えることができないか、ぜひ私たちの身近なことでも当てはめて実践してみましょう。

感性をアレンジしよう!

旧:WEBマガジン・作家たちの電脳書斎 デジタルデン    2023年 1月 公式掲載原稿 
現:作家たちの電脳書斎デジタルデン 出版事業部 (https://digi-den.net/) 

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