『最後の晩餐』の意味
『最後の晩餐』の“新しさ”について
ルネサンスの万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた名作『最後の晩餐』。
ダ・ヴィンチといえば『最後の晩餐』、『最後の晩餐』といえばダ・ヴィンチ、といえるほど有名な作品だ。
しかし、実を言うと『最後の晩餐』は、ダ・ヴィンチ以外の画家も多く手がけていて、今日100枚以上の作品が存在する。キリスト教が主題のテーマであり、ダ・ヴィンチ生誕以前にも、ダ・ヴィンチ没後以後にも描き続けられてきたのである。
それだけたくさんの『最後の晩餐』がありながら、なぜダ・ヴィンチの描いた『最後の晩餐』だけが、殊更に注目されることになったのだろうか。物事は日々進化している。であれば、ダ・ヴィンチ没後以後に生み出された『最後の晩餐』がもっと脚光を浴びてもよかったのではないだろうか?
その問いの答えは、ダ・ヴィンチ以前の画家には決してできなかった、ある“革新的な新しさ”に由来する。
光村図書が出版している中学2年の国語の教科書には、「君は『最後の晩餐』を知っているか」というタイトルで、『最後の晩餐』が取り上げられている。そこには、3つの技法という点から、ダ・ヴィンチの革新的な描き方が紹介されている。こちらの記事では、ダ・ヴィンチ研究者がレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉を引用しながら、より深い考察をしていきたい。
『最後の晩餐』の技法
ルネサンス時代に先陣を切った新しい技法、一言で言うと、それはすなわち“科学”である。
ソフトバンクの孫正義さんが、以前講演の中で、ダ・ヴィンチについて「アートとテクノロジーを融合させた人物」であると語っており、その偉大な功績は今日でも高く評価されている。
では、ダ・ヴィンチはただ天才的な思いつきで科学を用いたのか? というと、まったくそうではない。
むしろ、ダ・ヴィンチは絵画に科学を導入する必要性に迫られていた。それは一体どういうことか?
当時、絵画は職人が扱う分野で、例えば「音楽」に比べると、レベルの低いものとして位置づけられていた。
そこで、ダ・ヴィンチは、画家の身分向上を目指して、絵画に科学的な学問を導入し、絵画を高尚なアートへ押し上げようとした。絵画は単に画家の気分で感覚的に描いたものではなく、複数の学問・科学を具体的に絵という形で見える化した作品として、意味合いを大きく変えたのである。
その学問・科学とは何であるかというと、
① 解剖学 ② 遠近法 ③ 明暗法 の3つ。
順に説明をしよう。
① 解剖学
画家が存分に振る舞う姿勢や身振りを、十分に描くことのできる画家に不可欠のことといえば、神経、骨、筋肉および腱の解剖学に精通することである。
パリ手稿L レオナルド・ダ・ヴィンチ
ダ・ヴィンチは人物を正確に描写するには、解剖学の知識が必要不可欠であると考えていた。実際に、解剖学の教授に弟子入りをして学びを深め、30体以上も人体解剖を行い、身体の仕組の理解に努めていた。こちらのスケッチは解剖手稿と呼ばれるダ・ヴィンチが描き残した1枚。動きによって筋肉はどう変化するのか、精緻な描写で克明に描いている。
『最後の晩餐』に登場する人物は、皆それぞれ躍動感に満ちているが、それらはすべて解剖学の知識に裏付けされて描かれたものである。
② 遠近法
ダ・ヴィンチは、遠近法は「幾何学の長女」であると言っている。遠近法を絵画に導入することで、絵画は科学的になり、計算がされた構図になる。遠近法はルネサンス時代に生まれ、立体的でリアルな作品が生み出されていった。遠近法では、よく“消失点”という言葉が注目される。“消失点”とは、遠近法における平衡に走る複数の直線が集まる点のこと。
『最後の晩餐』では、両サイドのタペストリーの上辺や天井の格子、横長のテーブルのサイドの辺を結ぶと、その線はキリストの右のこめかみに集中し、そこが消失点となっている。実際に、消失点を定めるために、こめかみ部分には釘を打った穴が空けられている。
ダ・ヴィンチは、このような線で表現する「線遠近法」や、自ら発明したという、距離に応じて大気の青みが変化する「空気遠近法」を活用して写実的な名画を生み出していった。『最後の晩餐』は、窓から景色が見える程度だが、『モナ・リザ』では、この「空気遠近法」がメインで描かれている。
③ 明暗法
ダ・ヴィンチのノートをひもといてみると、おびだたしいほどの、実に多くの光学研究のスケッチに出合う。
ダ・ヴィンチは、「影とは何か」「光とは何か」、文章でいくつか定義をしている。
影とは何か。影という固有の用語で呼ばれるものは、むしろ物体の表面を照らす光の減少と呼ぶべきである。その影の始まりは光の終わりであり、影の終わりは闇である。・・・影と闇には、どのような違いがあるか、影と闇の違いはここにある。つまり、影とは光の減少であり、闇とは光の完全な欠如である。
絵画の書 レオナルド・ダ・ヴィンチ
闇とは、第一級の影のことであり、光とは、最後の級の影のことである。
絵画の書 レオナルド・ダ・ヴィンチ
影とは何であり、光とは何か。影とは光の欠如のことであり、光線に対向した緻密な物体による光の遮断にすぎない。影は光の性質を持ち、明るさは光の性質を持つ。一方は隠し、他方は露わにする。常に両者は、物体と結びついて一緒におり、影は光よりも強力である。というのは、影は、物体から完全に光を遮断してそれを奪い去るが、光は物体から、つまり緻密な物体から完全に影を追い払うことができないからである。
絵画の書 レオナルド・ダ・ヴィンチ
理論的に光と影について考察をし、実際に画家はどのように光と影を用いるべきか、次のように力説をしている。
画家の目指すべき第一の目標は、平らな表面が立体的に見え、かつその平面から浮き出して見えることである。この技において他の人より優っている画家ほど、大きな称賛に値する。このような研究、いや、このような科学の王冠と称すべきものは、光と影、つまり明暗から生まれる。それゆえ、影を嫌う者は、高貴な才能を持つ人々のもとで得られる芸術の栄光を嫌う者であり、無知な俗衆のもとで栄光を手に入れる者である。このような人々は、絵画に対して色の美しさしか求めず、平らなものを立体的に見せるという驚異的な美を完全に忘れ去っているのだ。
絵画の書 レオナルド・ダ・ヴィンチ
明暗を追求することは科学に値する。立体的に描くことこそ、優れた画家に求められる資質であるとダ・ヴィンチは考えており、『最後の晩餐』はそれを体現した名作なのである。
『最後の晩餐』はどこにある?美術館?
その名作『最後の晩餐』はどこにあるのか?
有名な 美術館 に所蔵されているのかというとそうではない。イタリアのミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院にある。建物自体が“世界遺産”に登録されている。
元々、晩餐という食事のシーンをテーマにしていることもあり、食堂の壁に描かれている。
食堂のある位置からこの壁画をみると、食堂と画面の中の部屋がつながっているように見える。その位置は修道院長がテーブルに座る席であることが想定されている。ダ・ヴィンチは、緻密に設計し、臨場感を味わえる仕掛けを凝らしているのだ。
横は9m、高さは4m以上ある巨大な作品。完成後、1499年、ミラノを占領したフランス王ルイ12世が、あまりの素晴らしさに感動し、壁ごとフランスに持ち帰ろうとしたほど。さすがに壁を切り取りことはできなかったため、そのままミラノに残ることに。
食堂の反対側の壁には、同時代に活躍したイタリア人画家、ジョバンニ・ドナート・モントルファーノという人が描いた『磔刑図』がある。こちらはいかにもよくある宗教画という感じで、ほとんど誰も見向きもしない。来場者のお目当てはダ・ヴィンチの『最後の晩餐』ただ1枚なのである。
『最後の晩餐』の来歴
『最後の晩餐』は、パトロンであるミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァ、通称イル・モーロ(肌の色が黒いため、黒い人と呼ばれた)に依頼されて1495年に描き始めた作品である。完成したのは1498年であるが、なかなか完成させないダ・ヴィンチに苛立った修道院長とのエピソードが実に面白く、ダ・ヴィンチの人となりが見えてくる。
以下は、ヴァザーリの『芸術家列伝』からの引用である。
言い伝えでは、この修道院の院長は、レオナルドに作品を完成させるようにうるさく催促したという。時折レオナルドが、半日もぼんやりともの想いにふけっているのを見て異様に思い、菜園を耕す日雇い人夫が働くように絵筆を休めず仕事をするよう要求した。これでも足りずに院長は公爵に苦情を訴え、あれこれ悪く言い立てたので、やむなく公爵はレオナルドに人を遣って、物腰も穏やかに、すべては修道院長の執拗な催促のためと言い訳しながら、言葉巧みに仕事を催促した。
レオナルドは、この君主が鋭い才知と思慮深さをもっていることを知っていたので、絵について(院長とは話したこともないようなことを)公爵とあれこれ語ってみたいと思った。そして絵画について大いに論じ、高い才能を持つ人は精神でもって創意ある着想を探し求めているので、仕事をしていない時ほど多く頭を使っていること、まず完全な観念が形づくられ、それから手が頭脳の内にすでに構想されたものを表現し描き出すということを理解させた。
そして描かねばならない顔がまだ二つ残っている、と付け加えた。一つはキリストの顔であるが、それを地上に見出すことができるとは思えないし、受肉した神のしるしであるあの美しさと天上的な優雅さを想像力によって描き出すことができるとも考えられない。もう一つ残っているのはユダの顔で、彼についてもあれこれ考えてみたが、奴のように多くの恩恵を受けた後で、残忍な心を抱いて、自分の主でありこの世の創造主である人を裏切ろうと決意した男の顔つきを想像するのは不可能と思える、ユダについては探してみるつもりだが、どうしてもうまく見つからない場合にはあのしつこくて無遠慮な修道院長の顔も使えないわけではない、と述べた。
これを聞いて公爵はけたたましく笑い出し、まったくそのとおりだと言った。すると当惑した哀れな院長は、もっぱら菜園の仕事を催促することに心をくだき、レオナルドにはかまわなくなった。こうして彼はユダの顔を見事に仕上げたが、それはまさに裏切りと極悪非道の権化のように見える。キリストの顔は、前述のごとく、未完成のまま残された。
芸術家列伝 ヴァザーリ
実際に、『最後の晩餐』を描いている際、修道院長の甥であるマッテオ・バンデッロという人物が目撃者としてダ・ヴィンチの描き方を証言している。彼によると、飲食を忘れて没頭してずっと描いていた時もあれば、腕組みをして絵の前で考え事をしている時もある。やって来たかと思うと一筆、二筆入れると立ち去ってしまうこともあったとか。
熟慮して検討を重ねた結果、時代や国境を超えて、日本の教科書にも紹介されるような名作を生み出すことにつながっている。本当にいいものを創るには、焦らずにじっくり取り組む時間も必要。500年前の天才の仕事ぶりから、現代の私たちも大いに学べることがある。
さて、『最後の晩餐』は、ダ・ヴィンチが完成させた数少ない作品の1つ。この大作がきっかでダ・ヴィンチの名前はヨーロッパ中に知れ渡ることに。同時代人のサッバ・ダ・カスティリオーネは、自身の著書『追想記』の中で「世界中に知れ渡っている誠に神々しい作品」と呼んだ。
修復作業について
しかし、それほどの名作なのに1つ問題が発生している。何かというと、完成直後からカビや剥離が生じ劣化が進行したこと。壁に絵を描く場合、従来はフレスコ画という手法が取られていたが、ダ・ヴィンチは、テンペラと油彩を混合させた新手法を実践。フレスコ画は英語の「フレッシュ」の言葉に近い意味合いで、漆喰が乾かない内に描き上げる必要があり、長考して描くタイプのダ・ヴィンチには不向きだった。そこでフレスコ画ではなく、独自の手法に頼ったがこれが裏目に出て失敗。ヴァザーリは、1556年に『最後の晩餐』を見た際、「あまりひどく侵蝕されていて、広がったしみの他、何も見えない」と記録している。当時の修復師がカビで覆われた作品の修復を試みたが、技術の精度が低く、逆にオリジナル性が失われる結果となった。
その後、国家事業的に、1978年から1999年まで20年以上、最新技術による修復作業が続けられ、オリジナルの完全再現とは行かないものの、一定の復元に成功した。修復費用は何と約17億円。
ちなみに、徳島にある大塚国際美術館には、修復前と修復後の『最後の晩餐』を対比して見ることができる原寸大のレプリカがあり、私はその2枚を撮影している。
修復後でもだいぶ綺麗に見えるが、実はまだオリジナルとは程遠い。ダ・ヴィンチが生存中に描いていたリアルはどんな感じだったのか?
Leonardo3というイタリアの研究者が模写などから予測して制作した作品があり、筆者はイタリアのミラノでその石板をお土産に購入した。こちらの鮮やかな作品がそれである。
巨匠の筆致は欠けているものの、当時の雰囲気が感じられる。上部のスフォルツァ家の紋章まで見事に再現されている。ダ・ヴィンチは細部までこだわり抜いたのだ。
話は変わるが、『最後の晩餐』は戦禍をくぐり抜けた作品である。
1943年、第二次世界大戦中の爆撃による被害を受けている。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の天井と片側の壁が粉砕されたが、『最後の晩餐』のある壁はかろうじて生き残った。天井が再建されるまでの間、雨ざらしや風雪にも耐え、今日私たちがこの絵を目の当たりにすることは、ほとんど奇跡と言ってもいい出来事なのである。
『最後の晩餐』は何を話している? 物語と会話
『最後の晩餐』は、キリストに加え、12使徒が登場している。
みんなで集まって、彼らは一体何を話しているのか?
その前に簡単に場面描写についての説明をしておこう。
『最後の晩餐』は、キリストが磔の刑になる前日に、12使徒たちと共にした夕食のことで、新約聖書の4つの福音書すべてに書かれている一場面。
この晩餐の最中、キリストが“裏切りの予告”をしたことがこのように書いてある。
イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」
弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。
ヨハネによる福音書
ダ・ヴィンチの作品では、これを聞いた弟子たちは驚き、動揺し、誰が裏切り者なのかを問い正そうとしている。
弟子のうちのピリポとトマスにいたっては「主よ、まさか私のことでは?」とキリストに尋ねているほど。
他人を疑い、自分さえも疑心暗鬼になっている瞬間をダ・ヴィンチは描いているのである。
『最後の晩餐』はなぜ有名なのか
先ほど、ダ・ヴィンチの描いた『最後の晩餐』には科学である3つの技法が使われていることを説明した。そして、フランス王をはじめ同時代人に絶賛されていたこともご紹介してきたが、それだけで『最後の晩餐』が有名になったのではない。これまでの画家たちには決してできなかった驚くべき画期的な描写がなされているのである。
まず第一に、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、他のどの画家にも表現できなかった“感情”にフォーカスされている。
そう、他者の追随を許さないほど圧倒的に。
ダ・ヴィンチの“感情表現の集大成”がこの『最後の晩餐』なのである。
なぜそのような表現ができたのかというと、ダ・ヴィンチはノートの中で繰り返し語るポリシーがあったからだ。
登場人物は一体心の中で何を思っているのか、それを表現することこそが本当に優れた人物画であるという。
以下は、いずれも言葉を変えて力説するダ・ヴィンチの文章の引用。
心の情動は、人の顔をさまざまな仕方で動かす。それによってある者は笑い、ある者は泣き、ある者は喜び、ある者は悲しみ、ある者は怒り、ある者は憐れみを示し、ある者は唖然とし、ある者は愚かさを、またある者は思索し瞑想する様を示す。このような情動には、顔だけでなく、手や体の動作も伴わせなければならない。
絵画の書 レオナルド・ダ・ヴィンチ
人物像を描く場合には、その人物像が心で何を思っているかを、充分に表現できるような身振りを取らせよ。さもないと、君の芸術は称賛に値しないだろう。
絵画の書 レオナルド・ダ・ヴィンチ
人物像の動作が、その人物の心の中にあるはずの情動と一致していない時には、四肢はその人物の心の判断に従っていないわけで、したがって、その制作者の判断力も大したものでないことを示している。
絵画の書 レオナルド・ダ・ヴィンチ
人物像の心の情動を表現する動作は、その心の動きに完全に即応しているように描き、その動作の内に大きな愛着心と熱意が表れていなければならない。さもないと、その人物像は一度ならず二度死んでいる、と言われるだろう。つまり、その人物は絵空事であるゆえに、一度死んでいるのであるが、それが心の動きも体の動きも示さない時に、二度目の死を迎えるのである。
絵画の書 レオナルド・ダ・ヴィンチ
人物像の動作と姿勢が、その動作をする者の心の動作だけを表現し、それ以外のいかなるものも表現しないようにすることが望ましい。
絵画の書 レオナルド・ダ・ヴィンチ
ダ・ヴィンチのスケッチの中に、不思議な円の重なりがある。
これは2つの水滴が滴り落ちた波紋で、さざなみが周囲に広がり溶け合う様子を示したものであるが、
ちょうど『最後の晩餐』も、中央のキリストを中心に感情が外側に広がっていくかのように描かれている。
歴史家のブルクハルトが、「この動揺に満ちた傑作」と呼んだ所以である。
感情を追求した以外にも、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』には革新性が込められている。
実は、構図がこれまでの他の画家が描いた『最後の晩餐』とは一線を画している。
まず同時代の画家、ドメニコ・ギルランダイオが描いた『最後の晩餐』を見てみよう。
ドメニコ・ギルランダイオは、当時フィレンツェでは有名な画家で、あのミケランジェロも弟子入りをしている。
ところで、パスタやピザなどイタリア料理で有名なファミレス、「サイゼリア」はご存じだろうか。手頃な価格で、筆者も学生時代によく利用していた。
「サイゼリア」には、いくつかルネサンス期の作品が展示されており、『最後の晩餐』はダ・ヴィンチではなく、このギルランダイオの作品が飾られている。そして、ギルランダイオは、1476年にも別の『最後の晩餐』を描いている。
ギルランダイオの2枚の『最後の晩餐』には共通点がある。それは、テーブルの前に座っている1人の人物がおり、それが裏切り者のユダであることだ。このユダをテーブル前に独立させて描く方法は、伝統的な慣習であり、ギルランダイオもそれに倣った形で制作している。
その慣習を見事に破ったのがダ・ヴィンチの『最後の晩餐』で、裏切り者のユダも同列に位置している。
1人だけテーブル前に座らせることは、違いが際立ってわかりやすいが、一方でかなり不自然な構図である。ダ・ヴィンチはそこに違和感を感じ、パッと見ただけでは誰が裏切り者かわからない形に変更した。そして、ユダをよく見てみると、手には銀貨を入れた袋を握りしめている。これは、銀貨30枚でキリストを売った売り切りエピソードに由来している。ユダの顔は黒い陰影で表現されており、それも裏切りの演出を果たしている。
ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、キリストが「この中に私を売った裏切り者がいる」と言った際の弟子たちの驚き・動揺の瞬間を描いたものであり、もし1人だけテーブル前にいるとすでに犯人が判明しているのと同様なので、劇的瞬間を表現することはできない。
同じテーマの『最後の晩餐』でも、ダ・ヴィンチは、明確に自分の描きたい意図を持って描いているのである。
そして、ダ・ヴィンチは密かに、また別のことを意図して『最後の晩餐』を描いていた。それこそが、知られざるダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の真の革新性である。
一言で言うと、主役の交代。
『最後の晩餐』はキリスト教に出てくるテーマなので、その世界観は当然ながら神中心です。先ほどのギルランダイオの『最後の晩餐』を再度見てみると、色濃くキリスト教の世界観に根ざして描かれている。
裏切り者のユダを除き、皆頭の上には聖なる存在を表す光輪をつけている。しかし、ダ・ヴィンチの作品は、誰1人光輪をつけていない。
ギルランダイオの『最後の晩餐』には、右上の方に孔雀が描かれている。孔雀は、「不死の象徴」でキリストの復活を意味しています。また床にいる動物は猫で、キリスト教では、猫は「悪魔の使い」と捉えられていたことがあり、近くにいる罪人のユダに関連づけられている。
科学者ダ・ヴィンチからすると、人間の頭の上に光輪があったり、死んだ人間が復活するということは、非科学的な出来事であり、聖書に書かれている「石ころがパンに変わる」という奇跡は容認できないこと。また動物を愛しており、猫のスケッチも描いていたダ・ヴィンチにとって、猫が悪魔の使いという扱いをされるのも、納得がいってなかったかもしれない。
ダ・ヴィンチは、光輪、孔雀、猫を取り去って『最後の晩餐』を描いているが、反対に異なる表現を加えたものがある。
それは山などの自然の描写。
1476年のギルランダイオの『最後の晩餐』は、まったく自然の描写は見られない。1482年の『最後の晩餐』は、後方に自然が描かれてはいる。とはいえ、だいぶ地味な描き方で、添えられている程度に過ぎない。
ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、背後に3つの窓が設けられており、雄大な山脈が顔をのぞかせている。ギルランダイオの『最後の晩餐』はややごちゃごちゃしており、いまいち視点が定まらないが、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は計算され尽くした遠近法によって、知らず知らずのうちに、この背後の窓から見える自然の方に誘われるのである。
さらに、完全復元予想の『最後の晩餐』では、色とりどりの花々が描かれていたことが分かっており、この大きなスペースに描かれた花模様は、ダ・ヴィンチの自然礼賛の姿勢に他ならない。
実際に実物を見た際、望遠レンズで撮影してみたが、茶色に塗り潰された下からうっすらとカラーの花模様が見える。
ダ・ヴィンチによって自然とは何であったのか? 彼のノートには、たくさんコメントが残っている。
人間の知恵は、さまざまな創意工夫をして、いろいろな手段を尽くして一つの目的に応えようとする。だがそうは言っても、自然の産み出す発明ほど、美しく、たやすく、迅速なものを見出すことは断じてできない。自然の発明には何一つ欠けるものがなく、また余分なものがないのである。
解剖手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ
自然は、まだ人に試されたことのない無数の原理に満ちあふれている。
パリ手稿I レオナルド・ダ・ヴィンチ
さらに、ダ・ヴィンチは「神」という言葉の代替語として、以下の言葉を列挙している。その中にも自然が含まれている。
匠、造物主、自然、必然、著者、設計者、発明者、作者、製作者
解剖手稿 レオナルドダ・ヴィンチ
「自然」という言葉の隣に、「必然」という言葉が並んでいるが、ダ・ヴィンチはこのようにも言っている。
自然の師匠であり、その後見人である必然性。
解剖手稿 レオナルドダ・ヴィンチ
自然は決してそれ自らの法則を破らない
パリ手稿C レオナルド・ダ・ヴィンチ
自然は、奇跡を起こしたいと願う者どもに仕返しをするものらしい。
解剖手稿 レオナルドダ・ヴィンチ
ダ・ヴィンチにとって自然とは、あらゆるものの師匠であり、法則性を持つ必然性。それは、奇跡を象徴する神とは対極をなしている。
ダ・ヴィンチといえば“万能の天才”というキャッチコピーがあまりにも有名だが、もう一つ別のキャッチコピーがある。
それは、異教徒レオナルド・ダ・ヴィンチ。
科学者でもあったダ・ヴィンチは、キリスト教とは異なる信奉者であり、無神論者と言われることもある。
そんなダ・ヴィンチは、この『最後の晩餐』について、宗教画の厳粛なシーンを台無しにするような描写をノートに書いている。そこには冒涜的なニュアンスが漂っている。
ある者はテーブルに両手を突いてキリストを見つめる。またある者は、口に含んだ食べ物を吹き出す。
フォースター手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ
実際の絵にこそ食べ物を吹き出している人物はいないものの、神聖な宗教画に描けるシーンではまったくもってない。
さらに問題視されている文章がこちら。
ある者は出題者を見ようと前かがみになって、片手をかざして目に影を作る。ある者は、その前かがみになった者の後ろに身を引いて、自分の背後の壁と前かがみになった者の間で出題者を見る。
フォースター手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ
この文章がなぜ問題なのかというと、不適切な言葉遣いにある。ダ・ヴィンチは、「ここに裏切り者がいる」と言ったキリストのことを「出題者」であると言い放つ。これは「救世主」と敬うキリスト教の信者たちからすると、冒涜的で不敬極まりない表現にあたる。
このような文章からも、ダ・ヴィンチが『最後の晩餐』を通して伝えたかったことは、単なるキリスト教の物語ではないことは明白だ。
ダ・ヴィンチが『最後の晩餐』を通して、本当に伝えたかったこと。それは、無数に存在する生物たち、雷や虹やオーロラ、不思議な現象も法則をもって必然的に生成流転する自然の偉大さなのである。(ダ・ヴィンチ研究者の桜川Daヴィんちがダ・ヴィンチ思考的に主張する説であり、一般的には自然はそこまでクローズアップされていない)
しかし、一つここで『最後の晩餐』で描かれている堂々とした違和感を伝えておきたい。
それは晩餐であれば夜のはずなので、外の景色は真っ暗か暗がり、少なくとも夕方の景色になっていなければ不自然である。
ところがどうだろう。外の景色は朝か昼だ。
なぜダ・ヴィンチは夕食の場面なのに、そう見えるように描かなかったのであろうか?
私が推察するに、もし真っ暗な夜の景色で描いてしまうと、外の自然が見えなくなってしまうから、ダ・ヴィンチはそれを避けるために青空で描いた。伝えたいメッセージを優先するために、物語の時間設定をも変更したのではないかと思う。
『最後の晩餐』に描かれた人物や静物
『最後の晩餐』には、中央のキリストに加えた12使徒、合計13人が描かれている。
左から、バルトロマイ、小ヤコブ、アンデレ、ペテロ、ユダ、ヨハネ、キリスト、大ヤコブ、トマソ、ピリポ、マタイ、タダイ、シモン。
『最後の晩餐』とは、キリストが磔の刑になる前日の晩に、12人の弟子と行った夕食のことであり、新約聖書にその記述がある。テーブルの上には、料理が並べられてるが、パンはキリストの身体であり、葡萄酒は多くの人のためにキリストが流すという契約の血を表している。つまり、キリストが処刑されることで流す血は、人類の原罪の償いをすることを意味している。
近年の修復によって、キリストの口が空いていることが判明し、ダ・ヴィンチは「この中に裏切り者がいる」と告知をした瞬間を描いたのだろうということが判明した。
また修復でわかった別のこととして、描かれている料理は魚料理であり、その魚はウナギではないかと指摘されている。実際に、ダ・ヴィンチのノートにはウナギという単語がメモされており、ルネサンス人もウナギ料理を食べていた。
古代ローマ時代では、キリスト教が禁じられていたという。ギリシャ語訳の聖書に記されていた「イエス、キリスト、神の、子、救い主」の頭文字を並べると「魚」という単語になることから、6世紀に描かれたモザイク壁画の『最後の晩餐』にも魚料理が目立つように描かれている。
最も初期に描かれた『最後の晩餐』は、見てわかるように遠近法が使われていないため、不自然な構図になっている。
一番左にいる光輪をつけた人物はキリストで、その反対方向にいる一番右の人物は裏切り者のユダであることがわかる。なぜなら、弟子たちの疑いの眼差しが一番右の人物に注がれているからである。(左から3番目の隠れ気味になっている人物がユダという説もある)
ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』では、使徒を3人ずつ4つのグループに分け、場面に躍動感を演出しているが、これも従来の『最後の晩餐』にはない新手法だ。
裏切り者であるユダの位置は、ペテロとヨハネの間で、少し前傾した姿勢で斜め後ろを向いている。
ダ・ヴィンチは、『最後の晩餐』の人物配置について、構想段階ではこのようにメモを書き残している。
酒を飲んでいた者は杯をその場に置き、顔を話し相手の方に向ける。もう1人は両手の指を組み合わせ、眉をひそめて仲間の方をふりかえる。別の男は両手を広げて掌を見せ、肩を耳まですくめて驚いた口元をする。また別の男は隣の男の耳元に話かけ、それを聞く男は、一方の手にナイフを持ち、他方の手にそのナイフで半分に切ったパンを持ったまま、振り向いてこれに耳を貸す。もう1人のナイフを持った男は、振り向きざまに、その手でテーブルの上の杯をひっくり返す。
フォースター手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ
実際に描いてみると、違う構図の方がいいことに気づいた部分もあり、すべては構想通りには描かれていない。
ここに“ナイフを持った人物”とあるが、作品の中では、ペテロがナイフを握っている。実際に、ダ・ヴィンチは次のように、ペテロの腕の下書きのスケッチを残している。
しかし、腕をくねらせただいぶ奇妙な持ち方をしているため、ユダの背中の辺りから突然ナイフを持つ手が飛び出ているという都市伝説を生んだ。
他に注目すべき点としては、ユダとキリストの手が向かい合っているところ。
キリストは、裏切り者は「わたしがパン切れをワインに浸して与える者」と言ったため、同じパンに向かう手は、ユダが裏切り者であることを密かに暗示している。すでに解説したように、右手には銀貨30枚が入った袋を握りしめており、両手の仕草から裏切り者を特定することができるのである。
鑑賞するためには予約が必要
『最後の晩餐』を見るためには、基本的には事前予約が必須である。予め電話かネットから予約。また、見学時は予約時間の30分以上前に到着し、引換券(バウチャー)と身分証明書としてパスポートを提示し、入場券を受け取る必要がある。
かなり人気のため、1ヶ月先までは予約が埋まっている可能性が高い。そのため余裕をもって確保する方がいい。
公式サイトで予約が埋まっている場合は、ツアーで予約をするか、それでも空きがない場合は、朝一で行って当日のキャンセル空きがないかを直接確認すると入れる可能性もある。ちなみに筆者は、当日空きがないか確認したところ、キャンセル枠があったものの、時間帯が合わなかったため別の方法を選択した。
それは何かというと、『最後の晩餐』の窓口で販売しているセット券。『最後の晩餐』の鑑賞に加え、他の観光施設と組み合わせたチケットであり、当時私は38ユーロで購入して鑑賞をした(2019年のダ・ヴィンチ没後500年の際)。この場合は別枠のようで、時間関係なく見ることができた。奥の手の方法であり、現在もあるかは要確認だが、もし資金に余裕のある場合や他の観光名所も一緒に回りたい場合は、受付でこのようなセットチケットがないかを尋ねてみよう。
【『最後の晩餐』の鑑賞とセットとなっている観光場所】
・ブレラ美術館
・国立レオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館
・スフォルツェスコ城
・アンブロジアーナ図書館/絵画館
日本から電話をかける際、日本語では予約できず、英語かイタリア語で話す必要があるが、筆者の経験上、それほど流暢ではなくても予約はできるはず。
★ 電話番号 : 02 – 8942 – 1146 受付 : 月曜 〜金曜 9:00 – 18:00 土曜は 14:00まで
★ 公式サイトのネット予約はこちらから
★ 見学時間
- 火曜日 −土曜日 : 8:15 〜19:00 ※ 月曜日は定休日なので要注意!
- 日曜日 : 8:15 〜20:00
- 1/1、5/1、12/25は休館日
※ グループ最大25人まで。見学時間は15分限定。
★ 行き方(電車)
- 地下鉄1号線 コンチリアツィオーネ駅(Conciliazione) 下車徒歩5分
まとめ
ダ・ヴィンチの作品は、これまでの他のどんな画家が描いた『最後の晩餐』よりも、いろいろな意図が深く凝縮された作品であり、だからこそ歴史的に残る決定版となった。
ダ・ヴィンチは、① 解剖学 ② 遠近法 ③ 明暗法 の3つの科学的な手法を用い、絵画をハイレベルなアートへと昇華させた。
技術的に一流であることはもちろん、絵には哲学的なメッセージを込めていた。ただ単にキリスト教の物語を伝えるために描いたのではなく、自分が強く感じる信念を巧みに人物や静物、空間に託して伝えようとしていた。
『モナ・リザ』はルーヴル美術館で列を並んで順番待ちで見るが、『最後の晩餐』のように15分間限定の鑑賞ではない。天才の最高傑作の1枚を、ぜひ一度生で鑑賞頂きたい。