
2017年、ニューヨークのクリスティーズ・オークションで、約508億円という絵画史上最高額で落札されたことで世界を驚愕させた1枚の絵画があります。
それが、レオナルド・ダ・ヴィンチ作と伝えられる『サルバトール・ムンディ』です。
オークションで落札された絵画で、かつての最高額はピカソ作品でしたが、『サルバトール・ムンディ』はその2倍以上の価格で落札されました。
元々は、ダ・ヴィンチの弟子であるボルトラッフィオ作とされていましたが、1958年のサザビーズのオークションでは、日本円にして約60万円で落札されています。もっともこの時は修復前の状態なので、508億円の価値がついた修復後の状態とは異なります。
“男性版モナ・リザ”とも囁かれるこの絵画は、多くの謎と議論を呼んでいます。
青いローブをまとったイエス・キリストが右手で天を指さし、左手に水晶玉を持つこの作品は、その神秘的な佇まいから、世界中の美術愛好家、研究者、そして市場関係者の注目を集めました。
ダ・ヴィンチ絵画がオークションにかけられる機会はめったになく、“ラスト・ダ・ヴィンチ”と呼びかけられて、オークションが行われました。
落札者は、サウジアラビアのムハンマド・サルマン皇太子でルーヴル美術館の別館、ルーヴル・アブダビに展示される予定でした。しかし、その後、美術館に展示されることはなく、絵の所在は謎に包まれ、真贋論争や修復をめぐる議論、様々な謎に彩られた作品でもあります。
今回は、『サルバトール・ムンディ』の絵画の意味や謎に迫り、この作品の魅力と歴史について解説します。
『サルバトール・ムンディ』を徹底解剖!
謎に包まれたその魅力と、世紀の真贋論争の真相に迫ります。
『サルバトール・ムンディ』とは?
『サルバトール・ムンディ』は、ラテン語で「世界の救世主」を意味します。
つまり、描かれているのは「イエス・キリスト」。
特に目を引くのは、キリストが手に持つ水晶玉です。
この水晶は球体であり、「キリストが世界の支配者であること」を象徴しています。
キリスト教会では、地球を球体として捉えることは否定されていたので、この球体は地球ではなく、世界もしくは宇宙を表現していると言われます。
また、反対の掲げられた指は、キリスト教的な意味合いでは「祝福」を表現しています。
ダ・ヴィンチは、水晶玉の透明感を非常に緻密に表現しています。
しかし、一部の専門家からは、水晶玉の描写に不自然な点があるという指摘もあります。例えば、ダ・ヴィンチ研究者の池上英洋教授は、水晶玉ではこれほど手のひらが映り込まないことから、ガラス玉が用いられている可能性を指摘しています。
作品情報
タイトル: サルバトール・ムンディ(Salvator Mundi)
画家: レオナルド・ダ・ヴィンチ or レオナルド・ダ・ヴィンチと工房作
制作年: 1507~1508年頃
技法: クルミの板に油彩
サイズ: 65.6 cm × 45.1 cm
「救世主」の意味
「世界の救世主」であるイエス・キリストが右手を上げて祝福しているようなこの構図は、中世の宗教画に見られる伝統的な表現を踏襲したものです。
この絵には、ダ・ヴィンチらしい新しい表現技法が用いられています。
キリストの顔は、スフマート技法によって柔らかく、神秘的な表情で描かれており、見る者を惹きつけます。
左右非対称の顔の表現は、男性的な左半分と女性的な右半分を対比させることで、キリストが神と人間の両方の性質を持つことを象徴しているという人もいます。
また、ダ・ヴィンチの『ウィトルウィウス的人体図』との関連性も指摘されており、人体の調和と宇宙の調和を結びつけるダ・ヴィンチの思想が反映されているとも受け取れます。
ウィトルウィウス的人体図について詳しくはこちらの記事をお読みください。
⇒ https://davincist.com/davinci-500-memorial-year/
模写と後世への影響
『サルバトール・ムンディ』は、その主題や構図が、多くの画家たちに影響を与え、たくさんの模写やオマージュ作品が作られました。
ダ・ヴィンチの弟子や後世の画家たちは、この作品を参考に、独自の「救世主」像を創造していったのです。
では本家本元のダ・ヴィンチの『サルバトール・ムンディ』は、どのようにして今に伝わるのでしょうか。
過去の変遷
『サルバトール・ムンディ』の所有者の変遷はいまも謎に満ちています。
1500年頃にフランス王ルイ12世のために描かれたとされる「サルバトール・ムンディ」は、後にフランス王女ヘンリエッタ・マリアがイギリス国王チャールズ1世と結婚する際にイギリスに持ち込まれました。
しかし1763年以降、行方不明となります。
1958年にオークションに出品されましたが、その時は複製とみなされ、誰も相手にせずわずか45ポンドで落札されています。
その後、2005年に美術商によって1175ドルで入手され、修復を経てダ・ヴィンチの真筆と報道されました。
その過程で、価格も大きく変動し、真贋論争や所有権をめぐる訴訟も発生しています。
所有権をめぐる訴訟
ロシア人富豪ドミトリー・リボロフレフ氏は、スイス人美術商イヴ・ブーヴィエ氏から『サルバトール・ムンディ』を1億2750万ドルで購入しましたが、後にブーヴィエ氏を詐欺で訴えました。
リボロフレフ氏によれば、ブーヴィエ氏はサザビーズのオークションでこの絵画を8000万ドルで購入しており、不当に高い価格で自分に売却したというのです。
リボロフレフ氏はサザビーズに対しても訴訟を起こしましたが、2019年12月に敗訴しています。
『サルバトール・ムンディ』の魅力は、人々の欲望を掻き立て、争いの種になってしまうほどのものだったのでしょう。
3600秒で508億円!?値段と驚愕の落札者
『サルバトール・ムンディ』が世界を震撼させた最大の理由は、落札価格です。
2017年11月15日、クリスティーズ・オークションにかけられた『サルバトール・ムンディ』は、競売開始からわずか3600秒、つまり1時間で、4億5030万ドル(約508億円)で落札されました。
これは、美術品オークション史上、過去最高額です。

なぜここまで値段があがったのでしょうか
その理由は、
- レオナルド・ダ・ヴィンチの現存する油彩作品が極めて少ない(15点前後)
- 個人で購入できる唯一の作品
- 長年、所在不明だった作品が再発見されたという希少性
- 美術史的、文化的な価値の高さ
- 真贋の争いで期待が高くなった
などが挙げられます。
もちろん、落札者の資金力も無視できません。
世紀の謎:ダ・ヴィンチ贋作説と真作論争
『サルバトール・ムンディ』を語る上で、避けて通れないのが真贋論争。つまり「レオナルド・ダ・ヴィンチの真作なのか、贋作なのか」という議論です。
専門家の間でも意見が真っ二つに分かれ、現在もハッキリとした決着がついてはいません。
2008年には、ロンドンのナショナル・ギャラリーが世界中の権威5人に鑑定を依頼しましたが、結果は賛成1、保留3、反対1と意見が分かれました。
修復の過程で、キリストの右手の指が2本あるという奇妙な点が発見されましたが、これはダ・ヴィンチが後で修正を加えたためだと考えられています。
まず真作説の根拠を説明します。
真作説の根拠
支持派は、絵画の様式や技法、特にスフマートと呼ばれるぼかし技法や、手の描写、そして全体的な存在感などがダ・ヴィンチの特徴と一致すると主張しています。
キリストの右手の指は、祝福の仕草を示すために、独特の指使いで描かれています。この指の表現は、ダ・ヴィンチの他の作品にも見られる特徴です。
シャロウ・フォーカス(狭い部分にピントを合わせ、背景をぼかす)という技法もダ・ヴィンチの特徴であり、『サルバトール・ムンディ』にもその特徴が見られるとされています。
また、修復の過程で発見されたペンティメントと呼ばれる下絵の描き直しも、真作である根拠の一つとして挙げられています。
次に贋作説について説明します。
贋作説・工房作説の根拠
レオナルド・ダ・ヴィンチの他の作品と比較して、線描が硬く、繊細さに欠けるという指摘があります。
保存状態の良さ: 500年以上前の作品としては保存状態が良すぎるため、後世の作品ではないかという疑問も上がっています。
工房作、あるいは弟子の作品の可能性: レオナルド・ダ・ヴィンチの工房には多くの弟子がおり、工房作、あるいは弟子による作品である可能性も指摘されているのです。特に弟子の中では、ボルトラッフィオが有力視されています。
このように、真作説、贋作説ともに、それぞれ根拠があり、謎は深まるばかりです。
映画「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」と『サルバトール・ムンディ』
この真贋論争の裏側、そして『サルバトール・ムンディ』を巡る美術界の闇に迫った映画があります。
「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」です。
この映画は、『サルバトール・ムンディ』の鑑定、高額取引、そして真贋論争の渦中に巻き込まれた人々の姿を克明に描いています。
映画を観ることで、
なぜ『サルバトール・ムンディ』が もっとも高額になったのか?
真贋論争はどのように展開していったのか?
美術市場の裏側にはどんな闇が潜んでいるのか?
など、
『サルバトール・ムンディ』をより深く理解できます。
『サルバトール・ムンディ』の落札者は誰?
ムハンマド・ビン・サルマン皇太子が落札者とされています。
その後、ルーヴル美術館の別館である、ルーヴル・アブダビに展示される予定でした。
しかし、ルーブル美術館がダ・ヴィンチの真作としてではなく工房の作品として扱う予定だったため、結局展示は実現せず、現在の所有者や所在は依然として謎に包まれています。
落札後、『サルバトール・ムンディ』は公の場から姿を消し、現在に至るまで行方不明となっています。
ところが、2024年にムハンマド・ビン・サルマン皇太子が、この作品をサウジアラビアの首都リヤドに建設される美術館で一般公開することを計画しているという報道がありました。
落札後、公の場に姿を現していない『サルバトール・ムンディ』は、これまでサルマン皇太子の所有するヨットや宮殿に飾られていると噂されていましたが、スイス・ジュネーブの倉庫に保管されていると噂されています。
サルマン皇太子は過去に、「リヤドにルーブル美術館の『モナ・リザ』のような人々を魅了するような美術館を作りたい」と話していたことがあり、その目玉として『サルバトール・ムンディ』を展示したいと考えていたのかもしれません。
『サルバトール・ムンディ』が早く私たちの前に現れることを、願ってやみません。
さまざまな画家たちが描いた『サルバトール・ムンディ』
レオナルド・ダ・ヴィンチ以外の画家による『サルバトール・ムンディ』は、様々なバージョンが存在します。
ティツィアーノ(ティツィアン)
アントネッロ・ダ・メッシーナ
ヤン・ファン・エイク(帰属作品)
アルブレヒト・デューラー
まとめ:謎多き『サルバトール・ムンディ』の魅力と今後の行方
『サルバトール・ムンディ』は、レオナルド・ダ・ヴィンチ作と断定できるのか、贋作なのか、今もなお謎に包まれた絵画です。
しかし、その謎こそが、『サルバトール・ムンディ』を特別な存在にし、人々を惹きつけてやまない魅力なのかもしれません。
510億円という史上最高額、落札者の謎、そして真贋論争。
『サルバトール・ムンディ』は、様々な角度からレオナルド・ダ・ヴィンチが生きたルネサンスの世界や、人々の知的好奇心、人間の欲望を垣間見せてくれる作品となっています。