「モナ・リザ」を描いた人は誰か?
世界で最も有名な絵画として知られる『モナ・リザ』。その作者はルネサンスの万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチです。
ダ・ヴィンチが描き残した絵画作品は15枚程度と少なく、その中でも最高傑作とされているのがこの『モナ・リザ』です。
1503年頃から描き始められ、その後死ぬまで加筆修正を重ねたと言われています。
晩年、フランスのアンボワーズに移住したダ・ヴィンチの手元に置かれていた絵画は、『洗礼者ヨハネ』、『聖アンナと聖母子』、そして『モナ・リザ』の3枚でした。今日、いずれもルーヴル美術館に展示されています。
『モナ・リザ』は、世界中で知らない人がいないほど有名な作品ですが、500年の時を超え、今なお多くの人を魅了してやまない名作中の名作と言われるのはなぜでしょうか? 今回は、この『モナ・リザ』の魅力に迫り、作品に込められた謎と意味を解説していきます。
「モナ・リザ」とは?
レオナルド・ダ・ヴィンチは、主にキリスト教に関する宗教画と人物の肖像画の2種類の絵画を描いていました。
『モナ・リザ』は、晩年になってから描いた女性の肖像画で、
モデルは誰か?
なぜ微笑んでいる?
背景の雄大な自然を描いたのはなぜか?
そもそもどんな経緯で描いたのか?
服装は喪服?
など、さまざまな謎に包まれています。
そのミステリアスな特徴が、世界中を魅了しているのです。
「モナ・リザ」のモデルは誰?
『モナ・リザ』のモデルについては諸説あります。ダ・ヴィンチが下絵を描いたマントヴァ侯妃のイザベラ・デステではないかと主張する人もいます。イザベラ・デステは、芸術家のパトロンをしており、ダ・ヴィンチとも面識があって交流をしていました。イザベラ・デステを描いたスケッチがこちら。ルーヴル美術館に所蔵されています。
この作品は、ダ・ヴィンチがマントヴァ滞在中に実際にイザベラ・デステに会って描いたラフ画です。ダ・ヴィンチはマントヴァを離れる際に、着色をした完成版を描くと約束していました。しかし、なかなか完成の知らせが届かなかったため、イザベラ・デステは、何度もダ・ヴィンチに手紙を送り、自画像の完成を催促をしています。そのような経緯もあって、『モナ・リザ』はイザベラ・デステなのではないかと推測されています。
他には、レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像と『モナ・リザ』の顔のパーツである、目や鼻や口の位置が一致することから、ダ・ヴィンチ本人を表しているのではないかという説や、ダ・ヴィンチの母親説、聖母マリアを描いたのではないかともささやかれています。
最も有力視されている説は、フィレンツェの裕福な絹商人の婦人であるリザ・デル・ジョコンドです。2005年、ドイツのハイデルベルク大学図書館の研究者が、1477年に出版されたキケロ全集の余白部分にラテン語の書き込みを発見したことが発端です。
その書き込みは、ダ・ヴィンチと同時代人のフィレンツェの役人、アゴスティーノ・ベスプッチが1503年に記したものとされており、そこに「レオナルド・ダ・ヴィンチがリザ・デル・ジョコンドの肖像画を製作中」と書かれています。
『モナ・リザ』のモデルは、リザ・デル・ジョコンドというのが通説になっていますが、1つ不思議な疑問が残ります。
それは、依頼を受けて描いた絵は通常、依頼主に渡すことになりますが、『モナ・リザ』はダ・ヴィンチの手元に亡くなるまで留まり続けました。このことから、『モナ・リザ』は単なる人物描写を超えて、ダ・ヴィンチが理想とする普遍的な人物像を描いたのではないかとも研究者の間では言われています。
必ずしも『モナ・リザ』をリザ夫人と見なすことはできず、もしかするとまったく別の作品の可能性がありますが、現時点ではリザ・デル・ジョコンドがモデル候補の筆頭に挙げられています。
「モナ・リザ」はルーヴル美術館のどこにある?
『モナ・リザ』は、世界で最も有名な美術館として知られる、フランスのパリにあるルーヴル美術館に所蔵されています。
ルーヴル美術館は、3万点以上の作品が展示されており、その中でルーヴルの至宝として君臨するのが『モナ・リザ』です。
実際に来館者の多くは、『モナ・リザ』を一目見ようと馳せ参じ、絵の前には行列ができています。
こちらは実際に私が訪れた際の写真です。
時間帯によりますが、このように長蛇の列ができるため、『モナ・リザ』を間近で鑑賞できる時間はわずかありません。混雑する時間帯を避けて、閉館間際に見に行くなどするとゆっくり鑑賞できると聞いたことがあります。
『モナ・リザ』はルーヴル美術館のどこにあるかというと、ドゥノン翼の2階にある「国家の間」です。
ここで気をつけておいた方がいい点として、ヨーロッパでは日本とは異なり、1階を0階と表記するため、フランスだと1階と表示されています。お間違いないようご注意ください。
モナ・リザの大きさについて
さて、実際にルーヴル美術館に行って『モナ・リザ』を目にすると、1つ気がつくことがあります。
それは、思ったより小さいということです。
『モナ・リザ』の実寸は、縦77cm✖︎横53cmです。
A4サイズが、縦29.7cm✖︎横21cmですから、その2倍強ほどのサイズです。
一説によると、人間が一番描きやすく、自分の世界に集中して描き込めるサイズとのことなので、何度も加筆修正したといわれるのも納得です。
ダ・ヴィンチが描いた名作『最後の晩餐』はかなり大きな作品ですが、壁画のため持ち運びができません。
あまりに大きな作品は、サイズ的な問題で国外に輸送することが懸念されます。
『モナ・リザ』はサイズ的に小さかったこともあり、かつて来日したことがあります。(後述します)
しかし、絵の保存という観点から現在はルーヴル美術館の外に移動することはされず、
防弾ガラスに守られ、適切な温度管理で保護されています。
ルーヴルにある「モナ・リザ」は本物? 模写との違いは?
ルーヴル美術館にある『モナ・リザ』は実は偽物なのではないのか?
と言われることがあります。
本物の『モナ・リザ』は別にあるのか、もしかすると、もう1枚の真筆とされる『モナ・リザ』があって歴史上の闇に消えたという可能性もあります。はたまたどこかに隠されているのかもしれません。
真偽はともかく議論されている作品に、『アイルワースのモナ・リザ』があります。
『アイルワースのモナ・リザ』
『アイルワースのモナ・リザ』は、ルーヴルにある『モナ・リザ』と比べ、大きく3つの違いがあります。
① 人物の年齢は10歳ほど若く見える。
② 背景描写が荒涼としていて殺風景である。
③ 両サイドにある円柱はよりはっきりと描かれている。
『アイルワースのモナ・リザ』が注目されるようになったのは1900年代に入ってからです。
ロンドン郊外のアイルワースの画商、ヒュー・ブレイカーが購入したため、この名前がつけられています。
その後、アメリカ人のヘンリー・ピューリツァーという人物が購入し、スイスの金庫に保管しました。
スイスのチューリッヒに本拠地があるNPOモナ・リザ財団は、35年以上の調査から「あらゆる角度からこの絵画が『モナ・リザ』の初期バージョンである」と結論づけています。
しかし、研究者の間では、ルーヴル版ほどの洗練さに欠けており、真筆作品であることは否定されています。
ちなみに本記事を書いている私も、明らかにダ・ヴィンチらしさがないため、模写である可能性が高いと感じています。
『マドリッドのモナ・リザ』
次に、現在スペインのマドリッドにある『モナ・リザ』をご紹介いたします。
こちらはレオナルド・ダ・ヴィンチの弟子が描いた模写作品とされています。
ルーヴルにある『モナ・リザ』と構図もそっくりですが、最も大きな違いは色合いです。
腕の部分の服の色が鮮やかなオレンジ色ですが、ルーヴル版は黄土色のような地味な色合いです。
これは、「模写をした人物が意図的に服の色を明るくした」というのではなく、
実は元々のルーヴル版も鮮やかなオレンジ色だったのが、ニスの影響で黄変してしまい全体的に黒ずんでしまったと推定されています。
また、この『マドリッドのモナ・リザ』を描いた作者は、ダ・ヴィンチの愛弟子であるフランチェスコ・メルツィだったのではないかと言われています。
メルツィは晩年ダ・ヴィンチの秘書的な存在であり、優れた絵画作品の他、精巧な模写スケッチをたくさん残しています。
ダ・ヴィンチのノートには、メルツィの徹底的な緻密な模写を見ることができます。
そして、『マドリッドのモナ・リザ』はルーヴル版の『モナ・リザ』と同時期に描かれたのではないかと推測されています。
その場合は、師匠である自分が描いた手本を元に、弟子に指導して同じように描かせた作品として位置づけられます。
この仮説が正しければ、ダ・ヴィンチが元々描いていた『モナ・リザ』は、私たちが普段知っている『モナ・リザ』よりも、もっと鮮やかな作品だったのかもしれません。
『マドリッドのモナ・リザ』は現在プラド美術館に所蔵されています。
そこで、実際にプラド美術館に行って間近で見てきました。
残念ながら、プラド美術館は世界的にも珍しく写真がNG でしたので撮影ができませんでしたが、
直接見ることで思わぬ発見をしました。
それは何かというと服のデザインの模様に関する違和感です。
胸元の服のデザインに連結した円が上部に、下部に装飾的な模様がそれぞれ描かれていますが、左側にいくと模様が途切れてしまっています。
これは、全体的に色がくすんでしまったルーヴルの『モナ・リザ』ではなかなか気づけない点です。
弟子のメルツィが意図的にミスした可能性もないわけではないですが、几帳面な性格だったメルツィは
おそらくこの途切れた模様まで、完璧に模写しようとしたのではないかと思います。
オリジナルと同様の模写であるとすると、なぜ、ダ・ヴィンチはあえて模様を途切れさせて描いたのでしょうか?
ダ・ヴィンチ思考から紐解こうとすると、
ダ・ヴィンチには正反対のものを組み合わせるという思考の癖がありました。
例えば、このような老人と青年を向い合わせに描いたスケッチがあります。
物語を描く絵では、対比の効果を演出するために、正反対の両者を一緒にしておくといい。つまり、醜い人と美しい人、大きい人と小さい人、老人と若者、強い人と弱い人などが、互いに近いところにいればいるほど、そのコントラストは大きくなる。だから、できるだけ異なる者どうしをくっつけておくといい。
ウルビーノ稿本 レオナルド・ダ・ヴィンチ
ダ・ヴィンチは対比から生じるドラマ性を意識していました。今回は人物ではなく服装の柄ですが、あえて不完全さを残すことでリアリティを追求しようとしていたのかもしれません。
あまりに完璧すぎる人は近づき難いですよね。それと一緒で、「隙を残すことで親しみやすさを狙った」と考えてみると、また違った絵に見えてくるのではないでしょうか。
「モナ・リザ」に起きた事件
今日、『モナ・リザ』が世界で最も有名な絵画として知られているのには、いくつか理由があります。
作者がレオナルド・ダ・ヴィンチであるということや絵の素晴らしさはさることながら、いくつか事件が起きる度に世界的なニュースとなっていることが、知名度アップに貢献しています。
「モナ・リザ」は盗難にあっている
『モナ・リザ』はかつてルーヴル美術館から盗難され、世界的な注目を集めました。
1911年、ルーヴル美術館から忽然と姿を消した『モナ・リザ』。ちょうどこの日は美術館の休館日で、最初は撮影か何かで運ばれたのだろうと盗難に気がつかず、翌朝に大騒ぎとなりました。新聞の一面記事となり、世界を駆け巡るニュースとなりました。
犯人探しが始まり、画家のピカソが逮捕されています。ピカソは以前盗難品である彫刻を購入していた経緯があって疑われたのですが、実際は事実無根の無罪。
犯人が判明したのは、『モナ・リザ』が盗まれてから2年後。犯人はイタリア人のヴィンチェンツォ・ペルージャで、ルーヴル美術館に出入りをしていた作業員でした。ペルージャは、『モナ・リザ』を保護するガラスケースの設置作業の経験があり、業者として不審者には見えなかったのでしょう。
『モナ・リザ』を持ち帰ったペルージャは、パリ市内にあるアパートにずっと隠し持っていました。そして、2年後にイタリアの画商に「我が国の誇りの象徴」を持っていると打診をして転売を試み、鑑定の結果本物と判明しました。
ペルージャはイタリア人であるダ・ヴィンチの絵画がフランスにあるのは納得できないとして、“愛国心”から絵を盗んだと主張し、祖国に帰還させたことに対する報酬を期待しました。
もちろん窃盗の罪で逮捕されますが、7ヶ月間の懲役期間を経て釈放され、愛国心を刺激されたイタリア人の間では、祖国に名画を取り戻した英雄と評価されています。
その後、『モナ・リザ』は一時的にイタリアで展示された後、無事ルーヴル美術館に帰還。現在、『モナ・リザ』は防弾ガラスケースに入れられて展示されています。盗難被害にあったこと、その後、来場者に酸をかけられる事件が発生したため、特別な保護をすることになりました。
2019年、レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年展がルーヴル美術館で開催された際には、防弾ガラスケースもより透明度が高いガラスに新調され、ガラスケースが埋め込まれている背景の壁もベージュから紺色に一新。展示室は、より特別感がある重厚な雰囲気になりました。ルーヴル美術館では、『モナ・リザ』の他に、このようなVIP待遇をしている絵画は他にありません。
モナ・リザ・ケーキ投げつけ事件
2022年5月29日、車椅子に乗り高齢女性を装った男性が『モナ・リザ』にケーキを投げつけた事件が起きています。
『モナ・リザ』は、強化ガラスで保護されていたため損傷はなかったものの、ガラスの表面は白いクリームで汚れました。
ケーキを投げた女装の男性は、警備員に連れ出される際、「地球のことを考えろ」と周囲に呼びかけていました。
意外にも、事件を起こす人は環境活動家のパターンが多いです。
モナ・リザ・スープ投げつけ事件
2024年1月28日、フランスの環境活動家たちが、『モナ・リザ』にカボチャのスープを投げつけて世界的なニュースになっています。
投げつけた理由は、健康的で持続可能な食べ物への権利を訴えるためで、特別『モナ・リザ』自体に恨みがあったわけではありません。
「どちらが大事ですか? 芸術と健康で持続可能な食べ物を得る権利と?」
つまり、『モナ・リザ』は芸術のシンボルでありアートの代表的な存在であることを意味します。
八つ当たりされる『モナ・リザ』はかわいそうですが、それだけ誰もが知る名画をとして世界が認めているということでしょう。
「モナ・リザ」は過去に来日して公開されている
1974年に東京国立博物館で「モナ・リザ展」が開催されると、会期中の48日間に150万人が足を運びました。これは、企画展単館入場者数の世界記録で、美術館の外まで長蛇の列ができました。あまりの人だかりで『モナ・リザ』の前に立つことが許された時間は、平均わずか2秒だったそうです。
当時の内閣総理大臣だった田中角栄首相は、『モナ・リザ』を、「世界の名画中の名画」、「フランスの最高の宝」、そして、「世界の恋人」と絶賛し、日本への来日を祝福しています。
またいつか、来日して欲しいと期待してしまいますが、
『モナ・リザ』には莫大な保険金がかけらるため、残念ながら再び日本に来る可能性は極めて低いです。
現在の『モナ・リザ』の評価額は、1200億円を超えるとされています。
実際にオークションで落札された“男性版のモナ・リザ”という異名を持つ『サルバトール・ムンディ』が508億円の価値がついたことを考えると、『モナ・リザ』は1200億円と言われても決して不思議ではない価格です。
「モナ・リザ」の一体何がそんなにすごいのか?
ここからは少し踏み込んで「モナ・リザ」の特徴について解説をしていきます。
「モナ・リザ」に使われている3つの技法をご紹介いたします。
黄金比が使われている
『モナ・リザ』の顔は1:1.618の黄金比の割合になっています。
また、腕を組んだ人物の形状は二等辺三角形になっており、安定感をもたらしています。
ダ・ヴィンチはピラミッドというワードを用いて、三角形構図の描写を好みました。
空気遠近法の利用
『モナ・リザ』にはダ・ヴィンチが発明した技法が使われています。それが大気(空気)遠近法です。
ダ・ヴィンチと親交が深かった数学者であるルカ・パチョーリは、ダ・ヴィンチに幾何学図形の挿絵の依頼をして本を出版していますが、その際にダ・ヴィンチのことをこう表現しています。
「いとも優れた画家・遠近法研究者・建築家・音楽家にして、あらゆる技芸に熟達したフィレンツェ人」
“遠近法研究者”と肩書きをつけているくらい、遠近法について詳しかったのでしょう。ダ・ヴィンチが遠近法についてこのような言葉を残しています。
「さて、ここで別の遠近法がある。わたしはこれを大気遠近法と名付けよう。(中略)…絵画でその一方が他方よりも遠くにあるように見せたいなら、その一方の大気を少し濃密に描くべきである。(中略)…最も近い建物を、その固有の色で描け。それよりも遠くにある建物は、輪郭をぼかして、より青く描け。その二倍遠方にあるようにしたい建物は、その二倍の青さで描け。そして、建物をその五倍遠方にあるようにしたいなら、その五倍の青さで描くこと。この規則によって、同一線上にあって、同じ大きさに見える建物で、どれが他よりも遠くにあるか、またどれが他よりも大きいのかを、はっきりと知ることができる」
絵画の書 レオナルド・ダ・ヴィンチ
こちらの風景写真をご覧ください。遠くに山脈が見えますが、遠くなるにつれて薄い水色になっています。遠くにいくほど空の色に同化するかのように青く霞む表現が大気遠近法です。
『モナ・リザ』も、背景にある自然の描写に大気遠近法が用いられています。
ダ・ヴィンチがこの大気遠近法の前に紹介している遠近法は色彩遠近法で、色の持つ固有の性質を生かした遠近法です。たとえば、次の図形は、寒色の水色と暖色のオレンジの四角と丸で構成されていますが、どちらの丸が浮き出ていると感じられるでしょうか。
おそらく左側のオレンジの丸の方が浮き出ているように感じられたかと思います。つまり、自分から見て近くに暖色系の色合い、遠くに寒色系の色合いを配置するだけで、遠近感が感じられるようになるということです。
ルネサンス期には、他にも線遠近法という遠近法が流行りました。
こちらはダ・ヴィンチの習作で、線遠近法を用いた『東方三博士の礼拝』のスケッチです。
任意の1点に向かって複数の線を集約させ、その線に沿って、手前から奥に向けて段々と小さく描く遠近法です。
それぞれの遠近法を、シーンによって使い分けて描いており、『モナ・リザ』は、大気遠近法の研究成果の結実なのです。
スフマート技法の使用
イタリア語で「煙」という意味の「fumo」に由来するスフマートという技法があります。
煙は輪郭がはっきりせずぼけていますが、同じように輪郭線をつけずに何層も繰り返し薄塗りすることで表現するぼかしの技法です。
筆のみならず、何と指の腹を使って描いているそうです。
実は『モナ・リザ』に使用されている絵の具は油彩なのですが、当時はまだ新しい描画の技術でした。絵の具を油で溶いて描く油絵は、フランドル地方を中心に北ヨーロッパで15世紀に発達し、その後イタリアにもたらされました。
それまでは、テンペラという卵の具を溶いて描いていましたが、油に比べてのびがよくありません。油を使うことでぼかし表現のグラデーションが描きやすくなり、よりリアルな人物描写も可能となりました。
ちなみになぜ卵を用いたかという興味深い考察もありますので、ご興味ある方は以下の記事をお読みください。一言で言うと、卵黄を使うと絵を保護する上で役立つからだそうです。こちらは、油彩にさらに卵を混ぜて描く方法として紹介されています。
参考URL:巨匠たちが油絵具に「卵黄」を混ぜた理由をついに解明!
テンペラでは、筆のあとが残りやすく、ダ・ヴィンチの目指す写実的な描写には不適切でした。
『モナ・リザ』が名画たる所以として、「最新の表現方法である油彩の選択」と「時間をかけて丁寧に繰り返し塗り重ねるスフマート」が貢献していることは間違いありません。
「モナリザ」の知られざる秘密
どこから見ても目が合う!?と言われることがあります。
なんともミステリアスな作品が『モナ・リザ』ですが、以前『ダ・ヴィンチ・コード』という作品でも話題になったように、
特別な仕掛けが隠されているのではないかと、実に様々な説が浮上しています。
「モナ・リザ」の目には暗号が隠されている!?
イタリアの文化遺産委員会のビンチェティ委員長は、高度な拡大鏡を使用して解析したところ、右目に「LV」、左目に「CE」もしくは「B」というアルファベット刻まれていると報告をしています。
LVはレオナルド・ダ・ヴィンチのイニシャルを表していて、サインを入れたのではないかと推測されています。
しかし、『モナ・リザ』には無数の細かいひび割れが入っており、たまたまそう見えただけなのでは?と懐疑的な見方もあります。
「モナ・リザ」の表情はちょっと怖い!?
『モナ・リザ』とえば、なんといっても微笑みが特徴的です。
『モナ・リザ』はなぜ不敵に笑みを浮かべているのでしょうか?
実のところ、微笑みを湛えた肖像画は珍しく、真顔で描かれることの方が通例でした。
一体それはなぜでしょうか?
一言で言うと、中世ヨーロッパ時代の因習に関係しています。
500年前、ルネサンス時代はキリスト教が国教で絶大な影響力を持っていました。
修道士たちの間では、笑いが時に悪意を含む表現となり、よくない行為につながることがあるため、笑う行為が禁止されていたそうです。少しでも笑ったら厳罰の対象になったほど。今日でも、何気なく言った冗談が相手を傷つけてしまうことがありますが、笑うことに対して警戒がされていたのです。
さらに、笑いは“悪魔の特徴”と結びつけられ、ますますタブー視されるようになりました。
『モナ・リザ』の表情がちょっと怖く感じられるのは、悪魔的な微笑みだからかもしれません。
その後、笑いについての見方も変わって肯定的に捉えられるようにもなりますが、ダ・ヴィンチの時代では、笑顔で描いた肖像画はまだ少なかったのです。
つまり、表情1つとってみても、『モナ・リザ』は当時の常識とされていた因習を打ち破った革命的な作品といえます。
「モナ・リザ」の手は仏レベル!?
『モナ・リザ論考』を書いたダ・ヴィンチ研究者の下村寅太郎さんは、意外にも“手”が素晴らしいと言います。
「この手の美しさは、あらゆる絵画が創造した最も美しい手としてすべての人の賛美するところである。この手の美しさは言葉では表現し得ない。確かにレオナルドが負誇するように言葉の表現力の制限を思わせる。我々の仏像の中にこれに匹敵するものを知るのみである」
『モナリザ論考』(下村寅太郎、岩波書店)
ちなみに、絶賛されている手は右手で、左手は未完成です。私は、あえて左手を未完成にして、完成度の高い右手を際立たせたのでないかと考えています。前述したように、ダ・ヴィンチは常に対比をする思考の持ち主だったからです。
「モナ・リザ」の服の謎
『モナ・リザ』は黒っぽい服装なので、喪服を着ているのではないか?と言われることがあります。
そして、モデルとされるジョコンダ婦人が子供を亡くしたことに関連づけられています。
しかし、当時のオリジナルが『マドリッドのモナ・リザ』のような色合いだったとすると、実際はもっと鮮やかな絵であり、
深緑の服装にオレンジ色の下着を着ていたことが想定されるため、
喪服説は、表面が黄変して暗くなった『モナ・リザ』から想像される、単なる憶測にすぎないことになります。
「モナ・リザ」の背景に隠された謎
ニューヨーク在住のグラフィックデザイナー・ロン・ピッシリーニョは、『モナ・リザ』を眺めているうちに面白い発見をしました。
出典:Artist spots hidden images of animals in Mona Lisa
この大自然の背景には、なんと3匹の動物がいるといいます。
ただ普通に眺めていても、なかなか動物は見えてきません。
動物を見つける方法は、絵を右に90度回転して見ることです。
すると、どうでしょう。
『モナ・リザ』の左隣の山が「ライオン」、その下の山が「猿」、そして右隣の山が「バッファロー」のように見えてくるといいます。
1体だけならたまたまそう見えただけかもしれませんが、3体となると、ダ・ヴィンチが何か意図して描いていたとも考えられます。
もしダ・ヴィンチが背後の大自然に動物を暗喩して描いていたのであれば、それは一体何を意味するのでしょうか。
動物や自然を大切にする気持ちが強かったダ・ヴィンチの意志の現れなのかもしれません。
「モナ・リザ」の代表的なパロディ作品
パロディと似たような言葉に同じ「パ」のつくパクリという言葉があります。
あなたは、この2つの意味について説明ができますか?
こう問いかける私もハッキリと説明ができなかったので、意味を調べてみました。
パロディとパクリは同じような意味なのか、あるいは違いがあるなら、どんな違いがあるのでしょうか。
実用日本語表現辞典によると、
「パロディ」とは、元々の作品や現象を模倣しながら、その特徴を風刺や皮肉を交えて強調することで、新たな表現や意味を生み出す手法である。パロディは、元の作品に敬意を払いながら、その独自性や遊び心を楽しむことが目的であり、視聴者や読者にもその遊び心を共有させる効果がある。例えば、有名な映画の名シーンを再現しながら、登場人物や状況を変えて笑いを誘うコメディ映画などがパロディの一例である。
実用日本語表現辞典
一方、「パクリ」の方は、
パクリは、他人の作品やアイデアをそのまま無断で使用し、自分のものとして利用することであり、遊び心や独自性が欠けている。
実用日本語表現辞典
と説明されています。
つまり、
「パロディ」は、元の作品に対して敬意を払ったポジティブな意味合いがあるのに対し、「パクリ」は、元の作品に敬意を払わない自分勝手な手法で、独自性や遊び心にも欠けるという違いがあります。
モチーフに対して敬意を払っているかどうかで、作品のあり方も自ずと変わってくるはずです。
◆ デュシャンの『モナ・リザ』
これまで著名な芸術家たちが、『モナ・リザ』のパロディに挑戦してきました。中でも有名なものに、マルセル・デュシャンが1919年に発表した『L.H.O.O.Q』があります。
1919年は、ちょうどダ・ヴィンチ没後400年にあたり、デュシャンは『モナ・リザ』の絵葉書を利用し、顔にひげを鉛筆で描き加え独自のタイトルをつけました。
デュシャンといえば、既製品を利用した「レディメイド」と呼ばれる作品が特徴的で、代表作である『泉』というタイトルの便器をアート化した作品があります。この作品は、“そもそもアートとは何なのか?”という疑問を投げかけて価値観の変革を起こし、その後、新たなコンセプトを提示するアートが生まれていきました。
デュシャンの『モナ・リザ』のタイトルである、『L.H.O.O.Q』は、フランス語で「エラショオキュ」と発音し、その意味は、性的に興奮しているという意味合いの「彼女のお尻は熱い」。
デュシャンは、ひげを描き加えることで『モナ・リザ』を男性化しているわけですが、
“性の転換”をテーマとした作品であり、昨今注目されるLGBTにも近い意味合いがあったのかもしれません。
デュシャンはその後、『髭を剃ったL.H.O.O.Q』を発表します。この作品は『モナ・リザ』が印刷されたトランプカードを利用したものであり、絵自体には何も手が加えられておらず『モナ・リザ』そのものです。
異なるのは、『モナ・リザ』か『髭を剃ったL.H.O.O.Q』というタイトルでだけであり、『L.H.O.O.Q』の作品の後だから成立する作品です。
ここまでくると、作者はダ・ヴィンチなのか、デュシャンなのか、よくわからなくなってきますが、元々有名な絵画である『モナ・リザ』をベースにしたからこそ話題になった作品といえます。
◆ 太った『モナ・リザ』
『モナ・リザ』のその他のパロディ作品として有名なものに、コロンビアの画家フェルナンド・ボテロが描いた太った『モナ・リザ』があります。
ボテロは3枚の『モナ・リザ』を描いています。
ぽっちゃり好きな方には、こちらの方が愛着がわくかもしれませんが、形を変形させてデフォルメ化するのもパロディをする手法の1つです。
◆ バンクシーの『モナ・リザ』
街中の壁などに絵を描き、美術館に無許可で自分の作品を展示する振る舞いで、“アートテロリスト”と呼ばれる芸術家、バンクシー。
バンクシーは2004年に、ルーヴル美術館に自身が描いた『モナ・リザ』を持ち込み、こっそりと展示することに成功します。顔がスマイリーになっているこちらの作品です。
2006年のサザビーズのオークションで、約780万円で落札されています。
バンクシーは他にもバズーカをかつぐ『モナ・リザ』を描いていますが、武器と『モナ・リザ』という意外な組み合わせで世間の注目を集めました。
このように、数々のパロディが生み出され続けることで、『モナ・リザ』そのものの認知度も上がり、多くの人を魅了するきっかけとなっています。
モナ・リザ・ワードのいろいろな使われ方 3例
・モナリザ症候群
ここでいう“モナリザ”とは、「most obesity known are low in sympathetic activity」の略で、直接的な絵画の『モナ・リザ』とは関係がありません。(knownだけ2番目を頭文字としています)
1990年にアメリカのジョージ・ブレイ博士が提唱した用語です。
エネルギー消費を促す交感神経は昼間に活発な働きをしますが、不規則な生活が続くと、交感神経の働きが鈍くなって、基礎代謝が低下し、体に脂肪がたまりやすくなります。
肥満は、食べ過ぎという原因の他にも、交感神経の働きが影響することを知っておきましょう。
規則的な生活を送ることは、肥満防止につながります。
・フレンチレストラン「モナリザ」
東京にモナリザという名前のフレンチレストラン があります。
レストランのH Pには、おもてなしのスタンスをこのように紹介されています。
モナリザでは3つの微笑みを大切にしております。
https://www.monnalisa.co.jp/about/
「お客様の微笑み」「生産者様の微笑み」「モナリザの微笑み」厳選した旬の素材、
ゆかりの地より新しい素材を取り寄せ、伝統的な技法を守りつつ、
当店ならではの新しさを織り込みひとつひとつの食材の味を引き出したモナリザオリジナルメニューで
食べていただけるお客様の微笑みを生産者様への還元とさせていただいております。
店内には、実際に絵画『モナ・リザ』のレプリカも展示されています。
恵比寿店と丸の内店の2つがありますので、ぜひ特別な日に行ってみてはいかがでしょうか。
・モナリザという名のネギ
1本1万円のネギが存在します。その名もモナリザ。
300万本にわずか10本しか取れないという超厳選のプレミアムネギです。
通常のネギよりも段違いに糖度も高く、その希少性はもはや芸術作品ということから命名されました。
贈答用にも需要があり完売しています。
世界最高の絵画の名前をつけることで、高級ネギのブランドイメージもアップしています。
数百円のネギを高く販売した手法として、いろいろと気づきがあります。
まとめ
レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作『モナ・リザ』について、さまざまな角度からご紹介してきました。
長い記事になりましたが、ダ・ヴィンチ研究をしている私からすると、実はまだまだ書きたりないことが多く、
これで『モナ・リザ』の魅力をすべて語り尽くせたわけではありません。
それでも、一体『モナ・リザ』ってなんであんなに有名なんだろう? という疑問は、きっといくらか解消できたのではないでしょうか。
そして、本記事で『モナ・リザ』に興味を持たれた方がいましたら、ぜひルーヴル美術館に行って、生の『モナ・リザ』を見てきてください。『モナ・リザ』は今も微笑んで、あなたの来館を待っています。
おまけ:世界遺産はどっち???
2024年6月に放送されたTBSテレビ「世界遺産!鈴木亮平と学ぶ」の中で、
俳優の鈴木亮平さんが、「『最後の晩餐』と『モナリザ』、どちらが世界遺産?」という質問を投げかけていました。
みなさんは、どちらが世界遺産だと思いますか?
正解は、
『最後の晩餐』です。
なぜ『最後の晩餐』が世界遺産かというと、“不動産”だからです。
『最後の晩餐』は、イタリアのミラノにある、サンタマリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂の壁画に描かれています。
壁画は動かせないので不動産。一方、『モナリザ』はかつて来日しているように動かすことができます。
そのため『モナリザ』は、世界遺産の条件である不動産には当てはまらないので、
どれだけ知名度が高くても世界遺産ではないのです。
さて、そんなもう1つのレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作であり世界遺産の『最後の晩餐』について、
わかりやすく、そして詳細に解説をしました! こちらの記事をお読みください。