レオナルド・ダ・ヴィンチは一体どんな人?何をした?容姿・才能・性格

レオナルド・ダ・ヴィンチはルネサンスが生んだ万能の天才と言われます。

怪人二十面相のように、様々な人物が1人のうちに融合されている人物がダ・ヴィンチといえるかもしれません。

果たして一体どんな人物だったのか? 

今回の記事では、主にルネサンスの美術史家ジョルジョ・ヴァザーリ( 1511年- 1574年)の著書を参考にしながら、天才の人となりとその功績をご紹介していきます。

目次

ダ・ヴィンチの風貌

ヴァザーリはレオナルド・ダ・ヴィンチについて、「美しくて輝かしい容姿」であり、「強靭な体力があり剛腕」であると紹介しています。

彼は、非常に美しく、輝かしいその容姿によってどんなに沈んだ心をも晴れやかにし、その言葉によってどんなに頑な人の心も左右することができた。

彼は強靭な体力でどんなに激しく怒り狂う人をも抑えつけた。また右手で 〔建物の外壁に取り付けられた馬をつなぐ〕 鉄の金輪や馬の蹄鉄を鉛のようにねじ曲げた。

その寛大な心で、貧しい者も富める者も、才知と素質さえあれば、あらゆる友を受け入れ歓待するのだった。

ジョルジョ・ヴァザーリ著『美術家列伝』

1つ注意しておきたいことは、ヴァザーリは生前ダ・ヴィンチに直接会ってはいないということです。

その代わりに、愛弟子のフランチェスコ・メルツィに、師匠のダ・ヴィンチはどんな人だったのか、インタビューをしています。こちらの文章のように、まるでスーパーマンのように、少し大げさな表現で書いているところが見受けられます。そのような言説が生まれるほど、大変評価されていた人物と受け取って頂ければと思います。

ちなみにダ・ヴィンチというと、このような髭を生やした哲学者風の容姿を思い浮かべる人が多いかもしれません。

レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像

若い時は美青年として知られており、今でいう俳優並みのイケメンだったと言われています。

え!? ホント???

と思ったそこのあなた。

どうやら本当のようです。

その美貌は周囲も放っておかなかったらしく、絵画や彫刻のモデルに採用されたと推定される作品があります。

それがこちらです。

『トビアスと天使』アンドレア・デル・ヴェロッキオ

ダ・ヴィンチの師匠であるヴェロッキオが描いた絵画『トビアスと天使』の右側のトビアスが、ダ・ヴィンチがモデルになっていると言われています。確かに巻き髪の美しい青年です。

そして、さらに同じく師匠ヴェロッキオ作の彫刻、ダビデ像があります。

『ダビデ像』アンドレア・デル・ヴェロッキオ

『トビアスと天使』と『ダビデ像』、見比べてみると同じ巻き髪でスリムな体型と、近い風貌であることがわかります。

晩年の髭を生やした自画像からは想像できない見た目ですが、とても端正な容姿だったのでしょう。

神のごとき才能を持つ

ダ・ヴィンチは、見た目以上に優れた才能を備えた人物でした。

この上なく偉大なる才能が、多くの場合、自然に、ときに超自然的に、天の采配によって人々の上にもたらされるものである。優美さと麗質、そして能力とが、ある方法であふれるばかりに一人の人物にあつまる。その結果、その人物がどんなことに心を向けようとも、その行為はすべて神のごとく、他のすべての人々を超えて、人間の技術によってではなく神によって与えられたものだということが、明瞭にわかるほどである。

ジョルジョ・ヴァザーリ著・田中英道訳『芸術家列伝3』

同時代人の芸術家でダ・ヴィンチのライバル、ミケランジェロも“神のごとき”とその卓越した才能を讃えられていました。

ダ・ヴィンチもミケランジェロも、2人とも絵画・彫刻・建築の分野で目を見張るほどの才能を発揮していたのです。

メジャーリーグで脚光を浴びている大谷翔平選手は、バッターとピッチャーの二刀流ですが、レオナルド・ダ・ヴィンチは、画家、彫刻家、音楽家、建築家、解剖学者、天文学者、地質学者、舞台演出家、軍事技師、発明家・・・と、十刀流以上の活躍をしていました。

まさに神のごとき才能を爆発させた人物なのです。

未完成の天才

ヨーロッパ中に名が轟くほど優れた才能の持ち主でしたが、1つ大きな欠点がありました。

それは、作品をなかなか完成できないということです。

ダ・ヴィンチは「未完成の天才」と呼ばれることがあります。

ヴァザーリは次のように書いています。

学殖においても、また文芸の分野においても、もしあれほどに多様で変わりやすい性格でなかったならば、偉大なる成果をあげていただろう。彼は多くのことを学ぼうとして、始めたかと思うとすぐやめてしまうのであった。こうして数学においても、手をつけてわずか数ヵ月の間にたくさんの知識を獲得したが、 絶えず疑問や難問に心を奪われ、教える先生もしばしば当惑してしまうのであった。

ジョルジョ・ヴァザーリ著・田中英道訳『芸術家列伝3』

実際に、ダ・ヴィンチの作品はほとんど未完成に終わっています。

その理由の一つとして、ダ・ヴィンチが完璧主義者だったからと言われています。妥協を許さない性格ゆえに、しばしば完成させることができなかったのです。

ヴァザーリは、このように言っています。

自然は彼に大いなる好奇心を寄せ、彼が思索と知性、意欲を向けるあらゆる分野でその作品に並外れた才能を発揮させたため、作品に完璧さ、生気、人間味、甘美さ、優雅さを賦与することにおいて彼に比肩する者は誰もいなかった。

周知のように、レオナルドは絵画に深く通じていたため多くの作品を手がけたが、何一つ完成させることがなかった。自分が想い描いたことを完全に表す技量に手が達していないと、思っていたからである。

ジョルジョ・ヴァザーリ著『美術家列伝』

ダ・ヴィンチは絵の背景を描くにしても手抜きをすることがなく、葉っぱ1枚1枚にも気を配り、リアルさの追求をしていました。一方、『ヴィーナスの誕生』で知られる先輩画家のボッティチェリに対しては、「背景がなっていない!」とこう批判をしています。

背景の描写など研究しても仕方ないと言う人たちがいる。ボッティチェリも同じで、「壁にスポンジを投げつけるだけで、壁に染みができる。その染みだって美しい風景だ」と背景を軽視する。だが、たとえその染みがアイディアを与えてくれても、その細部の仕上げについては不十分だ。ボッティチェリが描いた風景は、あまりにお粗末だった。

ウルビーノ稿本 レオナルド・ダ・ヴィンチ

細部のディティールにもこだわり抜いた作品だからこそ、後世の人にも感動を与える作品になったのではないでしょうか。

考えすぎるがゆえに未完成になった作品に、『東方三賢王礼拝(マギの礼拝)』と『聖ヒエロニムス』という作品があります。

詳しい解説についてはこちらの記事をご覧ください。

天才の制作プロセスは圧倒的な没入感

完璧主義者であったダ・ヴィンチは、一体どのようなプロセスで作品を創造していたのでしょうか?

若い時からすでに才能の萌芽が見られたことを、ヴァザーリはエピソードを通して紹介しています。

こちらも逸話的な内容で少し長いですが、ダ・ヴィンチの性格や特徴をよく著しています。

言い伝えによれば、セル・ピエロ・ダ・ヴィンチが田舎の家にいるとき、親しい間柄の彼の村人から頼みごとをされた。この村人は、農地で伐採した無花果の木で自分の手で小小さな円形盾をつくったので、フィレンツェで誰かにそこに絵を描いてもらえないかということだった。この村人は鳥を捕まえたり魚を釣るのがたいへんうまく、またセル・ピエロは彼にいろいろ教えてもらって大いに重宝していたので、喜んで引き受けた。 そこで盾をフィレンツェに持って行き、レオナルドにはそれが誰のものかは言わないで、何か描くように頼んだ。 レオナルドは、ある日この盾を手に取り、それが曲がっていて不格好につくられているのを見ると、火であぶって歪みを直した。 そし職人に渡し、粗くて不格好な盾を滑らかで均質なものに仕上げさせた。

それから表面に石膏を塗り、自分流のやり方で下地を施すと、眉の面に描きうるもので、それと出くわした人を恐怖でおののかせるようなもの、つまりメドゥーサの首と同じような効果をもつ絵を考え始めた。そこでレオナルドは、この目的のため自分だけしか入れないようにした部屋に、トカゲ、 ミドリトカゲ、コオロギ、蛇、蝶、バッタ、コウモリ、その他同じように奇怪な形をした動物を運び込んだ。そしてそれらの有象無象をあれこれ接ぎ合わせて、身の毛もよだつような恐ろしい小動物をつくり出し、息を吐き、火を吹き出すように工夫した。 それが暗い砕けた岩から這い出し、奇妙にも大きく開けた喉から気を、目から火を、鼻から煙を吐くように描き上げると、まさに怪物のような恐ろしい生きものに見えた 。それを仕上げるのに散々苦労したので、部屋には死んだ動物のすさまじい悪臭が立ち込めたが、 レオナルドは自分の創作に無我夢中で何も感じなかった。この作品が完成すると村人も父親もこの眉のことを尋ねなくなっていたか――レオナルドは父親に、自分の仕事は終わったので都合のつくときに村人に眉を送ってほしいと言った。そこである朝、セル・ピエロが盾を取りにその部屋に行き扉をたたくと、レオナルドは扉を開けて、少し待ってくれるように言った。そして部屋に戻り、眉 の上に載せて光が当たるように窓の具合を調節して光で目がくらむようにすると、父親を中に入れてそれを見せた。セル・ピエロは、一目見て飛び上がらんばかりに驚き、自分が見ているのが届であることも単に絵に描かれたものであることも信じられなかった。 父が後ろにのけぞると、レオナルドは彼を支えてこう言った。

「これでこの絵を描いた甲斐があるというもの。絵を取って、持って帰って下さい。これで目論見は達せられましたよ」

セル・ピエロにはこの出来事がまさに奇蹟のように思えたので、レオナルドの奇抜な着想を口をきわめて称した。 そして内緒である店で矢に射貫かれた心臓を描いた別の盾を買い、それを村人に贈ると、彼は一生恩に着続けたという。その後セル・ピエロは、事情を隠して、レオナルドの盾の絵をフィレンツェである商売人に百ドゥカートで売った。その後まもなくこの盾はミラノ公の手に渡った。先の商人から三百ドゥカートで売り渡されたのである。

ジョルジョ・ヴァザーリ著『美術家列伝』

ダ・ヴィンチは、人が嫌がるような環境であっても、作品に没頭し、こだわり抜いたアウトプットをしていました。

他にも人体解剖をしていた際も、やはり異臭を気にせずに没頭していたことを自ら告白しています。

いくらあなたが情熱的に取り組みたくても、胃が吐き気をもよおすかもしれないね。そうならなかったとしても、皮膚を剥がされた八つ裂きの死体とひと晩過ごす恐怖を乗り越えなくてはならない。怖くなくても、図示するための描写力は別問題だ。デッサンの能力だけではダメで、遠近法の知識もいる。それがあったとしても、幾何学的な証明法や、筋肉の動きや強さの計算方法を知らないかもしれない。最後に、それを繰り返す忍耐力が必要。私が満足な研究を成し得たかは、研究ノートで判断してくれればいい。もし不完全だとすれば、それは怠慢のせいではなく、ただ時間が足りなかったのだと言い切れる。

解剖手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

天才の制作プロセスは、知識と能力を総動員させた圧倒的な没入感なのです。

それほど真剣に集中してやりたいことがあったということですね。

レオナルド・ダ・ヴィンチの性格

ダ・ヴィンチはとにかく好奇心が旺盛で、興味があることはなんでもチャレンジするタイプでした。

そして、変わったものが好きで、人を楽しませる精神が創作物にも反映されています。

サプライズの達人がダ・ヴィンチと言えます。

ヴァザーリの文章では、奇行とも思えるほどの振る舞いをしていたことが書かれています。

ベルヴェデーレ宮殿の葡萄園の園丁が見つけた奇怪な形をしたトカゲの背中に、別のトカゲの剥い鱗皮を水銀の混ぜもので付け、それが歩いて動くにつれて揺れるように細工した。そして目や角、髭を付け、飼いならして箱に入れ、友人たちに見せると、誰もが恐ろしさのあまり逃げ出すのだった。

また彼は、しばしば去勢された羊の腸の脂気を念入りに取り除き、洗い浄めてごくごく薄いものにし、掌に収まるようにした。それから別の部屋に鍛冶職人が使う一対のを置き、それに前述の腸の先を着けて膨らますと、部屋いっぱいになりその部屋は大きかったのだが――そこにいた人は隅に押しやられてしまうのだった。このように、透明な空気の詰まった腸が初めは小さな場しか占めてなかったのにやがて大きな空間を占めるまで膨らむさまを見せて、人間の才能もこれと同じであることを示したのである。

彼はこうした奇矯なものを数限りなくつくり、また鏡についても熱心に研究した。 さらに描画用のさまざま油や、完成作品の保存用のニスをつくり出すために、きわめて風変わりな方法をあれこれと試みた。

ジョルジョ・ヴァザーリ著『美術家列伝』

誰もやったことがないことをやってみよう! そんなチャレンジの塊のような人物がダ・ヴィンチなのです。

スケッチの細やかさ

ダ・ヴィンチは、生涯おびただしいほどのスケッチ(素描図)を残しており、惚れ惚れするほど細やかに描いてます。

ダ・ヴィンチの忍耐強さと繊細さをもって、スケッチにもかかわらず精緻な仕上がりに達しています。

彼の頭脳は休むことなく奇抜な発想を生み出したので、こうした着想や試作を書き留めた数多くの素描が我々美術家のあいだにも散見されるようになり、私自身もそうした素描をかなりたくさん見た。

ジョルジョ・ヴァザーリ著『美術家列伝』

ロゴデザイナー

ダ・ヴィンチは、芸術家であると同時にデザイナーでもありました。

舞台衣装のデザイン、武器のデザインの他、いくつかロゴデザインの制作もしています。

ミラノの宮廷で自身が中心となって組織しようとしていた

「レオナルド・ダ・ヴィンチのアカデミー」

という知的サークルのエンブレムロゴを複数制作し、その美しい版画が残されています。

この組紐模様は、ダ・ヴィンチ自身の名前であるVinciとラテン語のvincire(結び合わせる)、さらにはイタリア語のvincere(勝利する)を掛け合わせた意味合いを持つと推測されています。

ただ美しい、かっこいい、という見栄えがするデザインにとどまらず、きちんと意味を込めて創作する。しかも何重にも意味を交差させる、というのがダ・ヴィンチならではのこだわりなのです。

発明家

レオナルドダ・ヴィンチは、芸術家という側面の他に、建築や道具の設計図にも積極的に取り組みました。

たとえば以下のことを設計したり制作したりしています。

・建物の設計図や地図を作成

・アルノ川を改修して運河にすることを検討

・水車の設計

・縮絨機(しゅくじゅうき)や動力装置の設計図

・山を容易に掘り崩すこと

・てこや巻き上げ機

・ポンプで水を低いところから吸い上げる方法

レオナルド・ダ・ヴィンチの関心はあらゆるジャンルに及び、音楽にも非常な関心を寄せていました。

レオナルド・ダ・ヴィンチと音楽

レオナルド・ダ・ヴィンチは、絵や彫刻といった芸術にとりくみながらも、音楽の分野でも長けていました。

ヴァザーリは次のように書いています。

音楽に関心を抱くと、すぐにリラを弾く勉強を始めたが、生まれつき気品と優雅さに富んだ気質の持ち主だったので、リラに合わせて即興で天使のような声で歌うのであった。

ジョルジョ・ヴァザーリ著『美術家列伝』

素晴らしい歌声に、楽器も演奏することができて、宮廷のスター的存在だったのではないでしょうか。

演奏に加えて、なんと楽器そのものの開発もしています。

音楽へも造形が深く、ピアノとチェロの特性を組み合わせたような不思議な音色を奏でる楽器「ヴィオラ・オルガニスタ」のスケッチを残しています。

また1494年、ミラノ公ジョヴァンニ・ガレアッツォが亡くなり、ロドヴィーコ・スフォルツァが新しい公となった年のこと。

その年、レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノ公の下へやってきました。ミラノ公はリラの音色が大好きだったので、レオナルドにリラを演奏してもらおうとしてわざわざ招いたのです。

レオナルドは自分で作った珍しい形の楽器を持参し、その楽器の大半は銀で作られており、馬の頭蓋骨を模した、ドラゴンのような頭の奇抜な形をしていました。しかしその楽器は高い音域でも調和が取れ、音色も素晴らしかったため、ミラノに集まったあらゆる音楽家たちよりも優れた演奏ができたのです。

音楽もまた、絵の制作へ活用されます。

音楽を奏でながらの制作

ダ・ヴィンチは、絵を描く際に、音楽を奏でながら制作することがありました。

たとえば、 モナリザの肖像を描いている間に、音楽を弾かせて歌い、かつ絶えずピエロを側において楽しい雰囲気をつくったといいます。

それは憂鬱な気分を、絵に与えようとしないためでした。

ダ・ヴィンチは自分の気分を明るくする方法に、音楽を取り入れていたのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、芸術肌なため、あまり他者とコミュニケーションがとれなかったのではないかと思われがちですが、実は逆です。

非常に人との会話が好きだった人物です。

議論やプレゼン、会話が好き

ダ・ヴィンチは、とても論理的な思考の持ち主で、言葉で表現するのも得意でした。

思考も明晰で、理路整然と話をすることができます。

どんな才気煥発な人でも議論によって打ち負かし、道理を尽くしてやり込めた。

ジョルジョ・ヴァザーリ著『美術家列伝』

ダ・ヴィンチがプレゼンをするば、どんどん人が集まってきたに違いありません。

彼の話ぶりはたいへん心地よかったので、人々の心を強く引きつけた。

ジョルジョ・ヴァザーリ著『美術家列伝』

数々のパトロンに取り入って芸術活動できたのも、ずば抜けて弁舌が優れていたからでしょう。

脳を活性化させ続ける

レオナルド・ダ・ヴィンチは、右脳と左脳をフル回転させて才能を遺憾なく発揮しました。

脳の活性化につながった方法として、鏡文字を用いたことが影響していたかもしれません。

鏡文字について書いた記事があるので、お読みください。

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更に、レオナルド・ダ・ヴィンチは、動物が好きだったといいます。

最近の研究では、猫や犬などの動物が、人間の認知機能をあげる効果があるという報告があります。

ダ・ヴィンチの卓越したバイタリティーにも、影響を与えていたのかもしれません。

動物愛好者

どんな動物もこよなく愛しましたが、特に馬を愛し、猫の印象的なスケッチが残っています。

彼は無一物といえるほど何も所有せず、少ししか仕事をしなかったが、いつも従者と馬をしたがえていた。大の愛馬家で、またあらゆる動物をこよなく愛し、それらを大きな愛情を込めて忍耐強く飼いならした。小鳥を売っている場所に通りかかると、自分の手で小鳥を籠から取り出し、店の人に言われた値を払うと空に放ち、失われた自由を彼らに返してやるのだった。

ジョルジョ・ヴァザーリ著『美術家列伝』

自然崇拝者

イタリアの田舎の農村ヴィンチ村で生を受けたダ・ヴィンチにとって、自然はごく身近な存在であり、

また不思議な対象でした。

生命はなぜ誕生したのか、この世界の構造はどうなっているのか。

一つ一つ気になることを見つけ、観察してはノートに考えをまとめ、スケッチをしていました。

彼の気紛れな興味は多岐にわた理、自然の事象について思案をめぐらせては、草花の特性を理解しようと夢中になったり、天体の動きや月の軌道、太陽の運行をたゆまず観察するのだった。

ジョルジョ・ヴァザーリ著『美術家列伝』

ダ・ヴィンチの偉大な創作品には、自然から学んだ叡智が巧みに表現されているのです。

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