『白貂を抱く貴婦人』の絵画を解説!ダ・ヴィンチの暗号が込められた謎の一枚

天才レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた、息をのむほど美しい女性の肖像画。しかし、この『白貂を抱く貴婦人』は、ただ美しいだけの絵画ではありません。

その微笑みの裏には、天才画家の科学的探究心、宮廷のドロドロな人間関係、そして国家の運命を揺るがす壮大なドラマが隠されているのです。

この記事では、1枚の絵画に秘められた、まるでミステリー小説のような物語を紐解き、この絵が“ただの肖像画”ではない理由に迫ってみます。 

目次

登場人物は3人! 傑作を生んだ宮廷の人間模様

この絵画を理解するにあたって、知るべき主要な登場人物は3人。

彼らの関係性を知ることが重要になります。

天才芸術家:レオナルド・ダ・ヴィンチ  

1人目は、絵画だけでなく、軍事技術から解剖学までこなす“万能の天才”レオナルド・ダ・ヴィンチ。『白貂を抱く貴婦人』を描いた作者です。

彼は芸術家でありながら科学者としての鋭い観察眼で、卓越したリアルな描写にとどまらず、人物の内面、つまり“魂の動き”までも描き出そうとしました。

ダ・ヴィンチの人物像についての詳細が気になる方は、以下をお読みください。

野心家のパトロン:ルドヴィコ・スフォルツァ

ルドヴィコ・スフォルツァは、当時、ミラノを支配した権力者。愛称は「イル・モーロ(ムーア人のように色黒だったことに由来)」。

自分の権力とセンスを見せつけるため、当代一の天才ダ・ヴィンチを宮廷に迎え入れました。

『白貂を抱く貴婦人』をダ・ヴィンチに描くように依頼した人物です。

才色兼備のモデル:チェチリア・ガッレラーニ 

チェチリア・ガッレラーニは、ルドヴィコの若き愛人。この絵のモデルとなった人です。

彼女は美しい容姿に加え、ラテン語を操り、詩を詠み、知識人たちと渡り合うほどの知性を持つ才色兼備。

16歳にしてミラノ宮廷のスターでした。

当時、ルドヴィコには名門貴族の婚約者がいました。それにもかかわらず、公然と愛人であるチェチリアの肖像画をダ・ヴィンチに依頼するのです。

この1枚は、個人的な愛情の証であると同時に、権力者ルドヴィコの権威を見せつけるための政治的なパフォーマンスでもありました。

チェチリアは腕に白貂(しろてん)を抱えています。

なぜ彼女は白貂と一緒に描かれたのでしょうか?

「白貂」に隠された4つの意味

この絵の最大の謎は、チェチリアが抱く白貂にあります。

ペットであれば、犬や猫がオーソドックスです。

なぜ犬や猫ではなく、白貂なのでしょうか?

 そこには、ダ・ヴィンチが仕掛けた言葉遊びと、幾重にも重なるシンボルが隠されています。

以下のような説明がなされます。

  1. 純潔のシンボル
    白貂は「自分の毛皮を汚すくらいなら死を選ぶ」という伝説から、純潔や高潔さの象徴とされていました。愛人という立場にあったチェチリアの徳を讃える意味があったのかもしれません。
  2. パトロン(ルドヴィコ)の化身
    これこそが最大の理由! ルドヴィコはナポリ王から「白貂騎士団」の爵位を授かっており、「白貂」は彼自身のシンボルでした。つまり、チェチリアが白貂を抱く姿は、ルドヴィコに愛され、庇護されていることを示す、非常に巧みな表現なのです。
  3. モデルの名前をもじったダジャレ!?
    天才はユーモアも一流。古代ギリシャ語でイタチ科の動物を意味する「ガレー(galē)」が、チェチリアの苗字「ガッレラーニGallerani)」と掛けられているのです。なんとも知的な言葉遊び!
  4. 妊娠の暗示?
    イタチ科の動物は、古くから安産の守り神ともされています。肖像画が描かれた頃、チェチリアはルドヴィコの子を身ごもっていた可能性があり、その安産を祈願したという説もあります。

ちなみに、この動物、実は「白貂ではなく、ペットとして飼われていた白いフェレットなのでは?」という動物学上の論争もあります。

ダ・ヴィンチは、生物学的にはフェレットを描きながら、象徴的な意味としては「白貂」を表現したのかもしれません。

さらに、当時では斬新な絵画のテクニックも応用されています。

絵画の常識を覆した技法、ダ・ヴィンチの「3つの革命」

この作品が「近代肖像画の始まり」とまで言われるのは、ダ・ヴィンチが持ち込んだ3つの革命的なテクニックにあります。

  1. ダイナミズムの導入
    当時の肖像画は、証明写真のようにカチッと静止したものが主流でした。しかしダ・ヴィンチは、体が右を向き、顔は左を向くという「ひねり」のポーズ(コントラポスト)を導入。まるで彼女が「今、誰かに呼ばれて振り向いた瞬間」を切り取ったかのような、生命感と躍動感を生み出しました。
  2. 「魂の動き」を描く視線
    彼女の視線は、私たち鑑賞者ではなく、絵の外の「誰か」に向けられています。一体、誰を見ているのでしょうか? この謎めいた視線が、鑑賞者の想像力をかき立て、静的な絵画を時間と物語性のある「事件」へと変えているのです。
  3. 魔法のテクニック「スフマート」と「キアロスクーロ」
    キアロスクーロ(光と影)で暗い背景から人物を劇的に浮かび上がらせ、スフマート(ぼかし)で輪郭線を煙のように柔らかくぼかす。この合わせ技によって、彼女の肌は生身の人間のような質感と温もりを持ち、あの有名な《モナ・リザ》にも通じる神秘的な雰囲気をまとっているのです。

さらにダ・ヴィンチの複雑な技巧は、近代の科学によっても明らかになりました。

科学が暴いた衝撃の真実! この絵には「3つの顔」があった

2014年、この絵画の歴史を揺るがす大発見がありました。

フランスの科学者パスカル・コットが、特殊な光を当てて絵の具の層を分析する「層光増幅法(LAM)」という技術を使用しました。

すると、ダ・ヴィンチはこの絵を3段階に分けて、構想を変えながら描いていたことが判明したのです。

  • 第1バージョン: 動物のいない、チェチーリアだけのシンプルな肖像画。
  • 第2バージョン: 小さく、ほっそりとした灰色の貂が描き加えられた。
  • 第3バージョン: 動物がより大きく、筋肉質で、純白の毛を持つ現在の姿に描き変えられた。

この発見は、単なる制作プロセスの解明に留まりません。

もしかしたら、最初は純粋な肖像画だったのに、パトロンであるルドヴィコの「俺の象徴である白貂をもっと立派に描け!」という意向が働き、描き変えられたのかもしれません。

あるいは、暗号を絵に込める癖があったダ・ヴィンチならではの熟考の跡なのでしょう。

ナチスの略奪、奇跡の生還… ポーランドの魂となった絵画 

この絵画の運命は、波乱万丈そのものでした。18世紀末にポーランドの名門貴族チャルトリスキ家の所蔵となった後、国家の象徴として、激動の歴史に翻弄されます。

最大の悲劇は、第二次世界大戦。1939年にナチス・ドイツがポーランドに侵攻すると、この傑作は略奪され、ナチスの高官ハンス・フランクの手に渡ります。一時はナチスの兵士に踏みつけられ、パネルに足跡が残るという屈辱まで受けました。

しかし終戦直前、フランクが逃亡先の別荘に隠していたところを連合国軍が発見。

奇跡的にポーランドへと返還されたのです。

そして2016年、チャルトリスキ家はこの絵画を含む全コレクションをポーランド国家に寄贈。

名実ともに「ポーランド国民の宝」となりました。

戦争と略奪を生き延びたこの絵は、今やポーランドの不屈の魂の象徴として、クラクフ国立美術館で静かに輝いています。

様々な物語をイメージさせる絵画

『白貂を抱く貴婦人』は、もはや単なる美術品ではありません。

それは、天才ダ・ヴィンチの芸術と科学の融合であり、ルネサンス宮廷の華やかさと人間ドラマの記録であり、そして戦争の悲劇を乗り越えた歴史の証人です。

1枚の絵画に、これほどまでに豊かな物語が凝縮されています。

いつかあなたが美術館を訪れて、この絵と巡り合う時、きっとその瞳の奥に、500年の壮大な物語が見えるはずです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次