レオナルド・ダ・ヴィンチの発明品や設計図を紹介


今回は、レオナルド・ダ・ヴィンチの発明品や、スケッチに残された設計図などについて紹介します。

ダ・ヴィンチは、当時から飛行機やヘリコプター、戦車、自転車、潜水艦などの乗り物、軍事兵器やロボット、生活を楽にする日用品の発明をしていました。かなりの数があるので、そのうち有名なものを紹介します。

目次

空を飛ぶ機械

チョウチョ、トンボ、トビウオ、コウモリ

出典:アシュバーナム手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダ・ヴィンチの飛行実験

レオナルド・ダ・ヴィンチは、人間の飛行を実現するため、さまざまな飛行生物を研究しました。

鳥だけでなく、チョウチョ、トンボ、トビウオ、コウモリなど、多様な生き物に注目しています。

この研究は1485〜90年頃、ミラノ滞在中に行われたと推測されています。

彼の研究方法は、アリストテレスの生物学に基づき、動物の形態を比較して観察と実験を繰り返しました。

特にトビウオの水中と空中での移動能力に着目し、これを通じて目に見えない空気の法則を理解しようとしました。

またコウモリの翼の構造にも着目し、鳥の羽とは異なる隙間のない膜が、空を飛ぶエネルギーを生み出す際に効果的だと考えました。

ダ・ヴィンチは、全ての生物に共通する基本的性質があると信じ、そこに人間の飛行の可能性を見出そうとしたのです。

この観察研究は、後の機械仕掛けの翼の設計に反映されました。4枚羽や被膜でおおわれた羽など、様々な生物の特徴を取り入れた設計が考案されました。以下の記事に詳しく解説していますので、ご興味ありましたら読んでみてください。

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機械仕掛けの翼1

出典:パリ手稿B レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダ・ヴィンチは、人類の飛行を実現させるため、鳥の翼を模倣する方法を熱心に探求しました。

人体に適した翼を設計するために、翼の大きさ、形状、材質について深く考察し、様々なアイデアを検討しながら最適解を見出そうとしました。

その結果、人間の筋力で機械式の翼を動かす方法について、詳細なスケッチに記録しました。

また、装置の構造を細かく説明し、部分図を付し、描線を丁寧に描いています。

上記の図は、人間の腕の筋力で翼を動かせるのかを考察したものです。その結果、腕の力では難しいと判断し、次に足ではどうかと考察していくことになります。

その後、ダ・ヴィンチは『鳥の飛翔に関する手稿』を記し、鳥や虫をさらに深く観察して模倣を試みました。これにより、彼の空飛ぶ機械の構想は、より複雑な動物の骨格をモデルとした緻密な構造へと進化していきます。人間も鳥や虫のように空を飛べるはずだという可能性を信じ、最後までその夢を追い続けたのです。

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空気スクリュー

出典:パリ手稿B レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダ・ヴィンチは、人間の飛行を実現するための革新的なアイデアとして「空気スクリュー」を考案しました。

糊づけした布で螺旋形の帆を作り、帆を高速で回転させることで機械が空中に浮かび上がることを目指した装置です。

ダ・ヴィンチは空気には密度があるため、圧縮可能なものと考え、高速回転によってスクリューが空気をかき分けて上昇できると考えました。

この理論は、当時としては非常に斬新なものでした。空気スクリューの考案は、彼の飛行研究に大きな転換をもたらしました。

しかし、ダ・ヴィンチの多くの研究と同様に、動力源や具体的な実現方法については未解決のままです。

それでも、ダ・ヴィンチの研究は、直接的な設計よりも、人体の力学や空気の性質といった理論的問題への取り組みにありました。

彼の機械は、こうした理論的考察を「目に見える形」にしたものだったのです。

そしてダ・ヴィンチが世界で初めて空気にスクリューを応用したという事実を、私たちは目の当たりにするのです。

しかし、このアイデアは当時の技術的制約により実現には至りませんでした。

メカニズムが複雑化し、推定重量が400kgを超えたため、人力での飛行は不可能だったのです。

機械仕掛けの翼2

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

1494年作成の手稿です。

構成的には、翼の全体図、部分拡大図、そして2つの説明文から成り立っています。

1490年代のダ・ヴィンチの研究は、概してこのような整然とした記述様式を特徴としていました。この時期、彼は自然現象の幾何学的・数理的理解という新たな知的領域を開拓していました。その成果は、内容面だけでなく、美しい筆致にも反映されています。

特に、描線や陰影の表現には、精緻な技法が用いられています。

当時のダ・ヴィンチの飛行機械研究は、主として人体の力学的可能性の探究に基づいていました。しかし、この翼の設計は例外的に、鳥類の解剖学的観察に基づく要素を含んでいます。

複数の関節を連結し、鋼で作った道具による制御を可能にする機構は、鳥類の翼の構造を模倣したものです。

ただし、15世紀末のこの段階では、各部材は幾何学的な規則性に従って配置されており、後の生体模倣的な設計とは異なる特徴を示しています。

この手稿の後、ダ・ヴィンチは『鳥の飛翔に関する手稿』を著し、鳥類や昆虫のより詳細な生態観察に基づく研究を展開していきます。

その結果、飛行機械の設計は、この初期の幾何学的な構造から、生物の骨格構造をより忠実に模倣した複雑な機構へと発展していきました。

武器・軍事関係

大砲

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた大砲のスケッチは、アトランティコ手稿に収められています。このスケッチは、当時の最先端技術を表現する手法が詰まった傑作です。

若い頃のダ・ヴィンチは、文字を芸術的に表現し、スケッチを装飾していました。しかし、主役はあくまでも絵による情報伝達でした。

15世紀のイタリアでは、技術と芸術の境界線が曖昧になり、ダ・ヴィンチのような画家であり技術者でもある知識人が登場しました。

彼のスケッチは、中世の単純な図面とは異なり、大砲の構造と細部を緻密に描き込んでいます。

多銃身砲

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

このスケッチは、当時の最新軍事技術と芸術性を融合させた傑作です。3つの視点から描かれた多銃身砲は、それぞれ特徴がありながら、調和のとれた設計図となっています。

上部の図は車輪と本体の接合部を透視図法で描き、機構を立体的に理解できます。下部の2つの図は高さ調節機構に焦点を当て、車輪を軸線のみで表現することで機能を強調しています。

多角的な描写は、技術図面を超えた革新的な情報伝達方法です。各図が独立しつつも補完し合い、文字では表現できない視覚的な理解を促します。

1480年頃のフィレンツェは、権力者が軍事技術に注目する時代でした。メディチ家の支配下、パッツィ家の陰謀事件以降、政治的緊張が高まっていました。

ブルネレスキなどの技術者が軍事装置開発に携わり、ダ・ヴィンチが修業したヴェロッキオの工房でも銃身や鎧を製造していました。こうした環境が、レオナルドの軍事技術への関心を育んだのでしょう。

ダ・ヴィンチは軍事技術者として認められるため、このような発明プランを携えてミラノに向かったと言われています。

防御壁

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

このスケッチは、ダ・ヴィンチの初期作品の中でも、人物と空間を融合させた革新的な図面です。

城壁に組み込まれた木材で敵のはしごを撃退する防御装置で、複数人、またはウィンチを使って1人で操作する方法が描かれています。

作業者の姿や空間を表現することで、装置の使用状況を具体的に示しています。

部分拡大図を用いることで、構造と機能を詳細に説明しています。

ダ・ヴィンチは、技術図面でありながら、芸術作品のような表現を取り入れています。

これは、ダ・ヴィンチにとって技術と芸術の境界線が曖昧だったことを示唆しています。

鎌つき戦車

出典トリノ王立図書館 レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダ・ヴィンチがミラノ時代に描いた戦闘馬車のスケッチは、技術と芸術が融合した傑作です。

当時のヨーロッパでは、戦争技術は実用性だけでなく文化的価値もありました。古代ローマの戦闘具が再評価されたのもその一例です。

このスケッチは、簡潔な線描で構造や機能を表現し、人物描写で機械の使用状況を示し、戦争の残虐性も描き出しています。

ダ・ヴィンチは後に戦争を「野獣的な狂気」と表現しますが、その萌芽はすでにこのスケッチに見られます。

このスケッチは、単なる設計図ではなく、戦争の残虐性への警告と人道的な考察を含む作品です。

実はこの作品、作動メカニズムの説明が不完全であり、万が一この手稿が他人の手に渡っても悪用されないように配慮していました。

装甲車

出典:大英博物館所蔵 レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダ・ヴィンチが描いた装甲車です。

ルネサンス期の新しい知識人、特に芸術家であり技術者でもあった人々は、古代文化を単に模倣するのではなく、創造性を発揮することを重要視していました。彼らの目標は、古代文明の業績を超えることにあったのです。

この手稿に描かれた、亀の甲羅のような装甲車は、その好例です。装甲車は古代に起源を持ち、中世にはすでに知られていましたが、ダ・ヴィンチは基本的な概念に独自の改良を加え、全く新しい戦闘装置として再構築しました。

特筆すべきは、ダ・ヴィンチが装甲車に考案した新しい動力システムです。人力や動物の力を効率的に利用する機構を設計し、周囲に砲身を配置するという斬新なアイデアを実現しました。これは、古代の知恵を基盤としながらも、それをはるかに発展させたといえるでしょう。

この手稿は1485年頃に制作されたと推定され、ダ・ヴィンチの機械図が実用的な図面から芸術的な表現を持つスケッチへと進化していく過渡期の特徴を示しています。装甲車は外観と内部構造の二つの視点から描かれ、まるで解剖図のように詳細に理解することができます。

特に興味深いのは、二つの図の表現方法の違いです。内部構造を描いた左側の図は、ギアや車輪などの機構を正確に描写していますが、比較的落ち着いた表現です。一方、外観を描いた右側の図では、砂埃や発射煙まで描き込むことで、装甲車の動的な様子を生き生きと表現しています。

これらのドラマチックな表現により、単なる機械の図面を超え、戦場の緊迫感や興奮までもが伝わってきます。

このように、この手稿は技術的な正確さと芸術的な表現力を高度に融合させた、ダ・ヴィンチの才能を示す傑作といえるでしょう。

カタパルト(投石機)

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

この投石機の手稿は、ダ・ヴィンチの初期の発明の特徴と、1490年代以降の革新的な研究の萌芽を含んでいます。

ダ・ヴィンチは、バネの仕組みを活用した革新的な投石機を考案しました。

これは、失われた著作『機械の基本について』で、彼が機械の本質的な構造研究を目指していたことを示しています。

投石機の手稿は、バネの仕組みを武器に応用する実践例であり、ダ・ヴィンチの機械工学への体系的なアプローチを示す重要な証拠です。

要塞

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

この要塞の設計図は、ダ・ヴィンチが2度目にミラノに滞在していた1508年頃以降に描かれました。当時のミラノはフランスの支配下にあり、ダ・ヴィンチはフランス王室から技師の称号を与えられていました。この要塞もフランス軍のために設計されたと考えられています。当時、ヨーロッパは政治的に不安定で、領土防衛が最重要課題でした。

ダ・ヴィンチは、イル・モーロ時代の軍事顧問、ヴェネツィア共和国での軍事相談役、1502年のチェーザレ・ボルジアのロマーニャ遠征への同行など、豊富な軍事経験を持っていました。この時期は、名作『アンギアーリの戦い』を描く直前です。

技術的には、この時期のダ・ヴィンチは火器の改良研究に熱心でした。弾道学に基づいた新型銃器の開発と並行し、防御建築の革新にも挑戦していました。彼の要塞は、全体を扁平にし、壁を内側に傾斜させることで、敵の攻撃に対する表面積を最小限にする工夫がされていました。

しかし、ダ・ヴィンチの要塞設計は、次第に変化していきます。革新的な構造を追求する一方で、中世的な多角形の外郭を持つ伝統的な設計も手がけていました。当初計画していた湾曲したラヴェラン(半月堡)を持つ設計から、多角形構造へと移行したのは、この葛藤を示しています。

この設計変更には、フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニの影響が考えられます。フランチェスコの多角形要塞はイタリア各地で採用されており、レオナルドも16世紀初頭に彼の『建築論』を研究していました。

この要塞設計は、ダ・ヴィンチの他の発明と比べると、革新性は控えめです。フランチェスコの影響か、パトロンの要請に応じたのかもしれません。しかし、この設計からは、実践と理論のバランスを取ろうとしたダ・ヴィンチの慎重な姿勢が読み取れます。

水にまつわる機械

水力自動のこぎり

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

この自動のこぎり機のスケッチは、ダ・ヴィンチの作品としては珍しく、線が未熟で構図も素朴ですが、水力学を応用した機械です。

技術的には、15世紀以前の機械図面の特徴が見られます。寸法やバランスより、装置の概略を重視した表現です。

このスケッチは、実在する機械の写生か、既存の図面の模写と考えられます。ヴェネツィアで発見された技術者の手稿に類似の機械があるため、模写の可能性が高いです。

しかし、ダ・ヴィンチの作品である証拠もあります。部分説明図の「Ttelaio(フレーム)」という注釈は、ダ・ヴィンチ特有の鏡文字です。裏面のスケッチもレオナルドの筆跡です。

特徴的なのが、中央の「Vuole essere piu lungo tutto(各部をもっと長く)」という注釈です。通常の書き方なので、他者への伝達か、他者による書き込みの可能性があります。別の関連手稿には、異なる筆跡の注釈や装飾文字もあります。

これらの特徴から、この手稿は複数の技術者による共同研究の成果を記録した可能性があります。ダ・ヴィンチが機械設計を始めた初期には、このような学習的な手稿が多かったようです。

さらに、この手稿は当時の技術伝達方法を示す貴重な例です。15世紀末から16世紀初頭、技術者は過去の発明を研究し、新たな革新を生み出していました。

この機械の内部では、木の丸太はロープの巻き上げ機からひかれたレールに沿って少しずつ進む移動台から水平に運ばれます。そして、機械のフレームに設置された上下に動かすのこぎりによって切断されます。下の水路を流れる水は、水車の羽を回す力を生み、機械の動力を伝え、木を切断する仕組みとなっています。

潜水スーツ

出典:アランデル手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダ・ヴィンチは、人が潜水して水中で呼吸するために必要な道具を開発しました。

柔らかいチューブを通して水上と交信することを可能にする呼吸器を装備しています。

2枚目の画像は、イタリアのヴィンチ村に訪れた際、ダ・ヴィンチ博物館に展示されていた写真です。

ダ・ヴィンチの知的好奇心は地上にとどまらず、水中の世界にも広がっていたのでしょう。

また軍事兵器としての悪用を恐れたダ・ヴィンチはレスター手稿にこのように言っています。

「呼吸を止めずに、どうすれば水中にとどまることができるか。その方法については記さずにおく。公表しない理由は、邪悪な人間たちが、海底における殺人に利用するかもしれないからだ」

出典:マドリッド手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダ・ヴィンチは、ミラノ公への自薦状で「極めて軽く堅固な橋」を提案するなど、橋の建設を検討していました。

特に“ダ・ヴィンチの橋”として有名なのが、こちらの持ち運びができる橋です。

マドリッド手稿には、このような解説があります。

「これは軍隊が川を渡るために、その岸辺に生えている樹木だけでつくる野生の橋である。
この図で示すのがその骨組みで、その上を太い枝で覆い、次に小枝、エニシダ、芝生で覆う。
この橋は重さが掛かるほどに強く締まるので、他の橋のように頑丈な橋台は必要ない。」

ロープ釘なしで即席で出来上がる橋です。

舞台『学芸員 鎌目志万とダ・ヴィンチ・ノート』では、舞台中にこの橋を即興で作り、人が渡ってみるという実演を取り入れて話題になりました。

YouTubeでも検索すると、作り方の動画が出てきますので、ご興味あれば見てみてください。

浚渫船(しゅんせつせん)

出典:パリ手稿E レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダ・ヴィンチの晩年の貴重な資料であるパリ手稿Eには、1513年のミラノからローマへの移動記録と共に、浚渫船(しゅんせつせん)の研究が記されています。この船は、二つの船をいかだにして作られています。

この浚渫船(しゅんせつせん)は、1514年にローマ教皇レオ10世が主導したポンティノ湿地の干拓事業と関連していると考えられています。ダ・ヴィンチもこの事業に参加していたという記録が残っています。

ウィンザー紙葉には、チルチェオ山麓の平野を描いた俯瞰図があり、河川の氾濫対策として浚渫や水路建設などの計画が記されています。

ダ・ヴィンチはミラノ時代にも水路工事に関わっており、浚渫船はローマやミラノでの実用的な必要性から生まれた可能性が高いです。

手稿には、スケッチ完成後にタイトルや説明文、技術的考察が書き加えられており、ダ・ヴィンチの深い思考が窺えます。

この浚渫船(しゅんせつせん)は、当時の土木工学における技術革新を示しています。水流の制御と土砂の除去という課題への、ダ・ヴィンチの実践的なアプローチが分かります。

さらに、この研究は、河川の氾濫制御や湿地の干拓といった現代の環境問題にも通じる先見性を持っています。

作業のための機械

往復運動の機械

ペンと水彩で描かれた美しいスケッチです。

機械の展開図を描くことで、各部品の特殊性を伝えています。左には組み立て後の図を描いています。

これは往復運動を連続円運動に変えることによって、資材を持ち上げる装置です。

歯車と噛み合うように設計し、動力が伝わるように作られています。

やすり製造機

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

このスケッチは、若きダ・ヴィンチの初期作品の特徴をよく表しています。ペンとインクウォッシュで丁寧に仕上げられており、プレゼンテーション用と考えられます。

ダ・ヴィンチの初期の機械図は、用途別に4つのタイプに分けられます。このやすり製造機のスケッチは、単一機械の詳細図というタイプです。

注目すべきは、フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニの『建築論』との関連性です。ダ・ヴィンチは、フランチェスコの精緻な機械図の表現様式を意識していた可能性があります。

プレゼンテーション用であることは、鏡文字ではなく、左から右に書かれたタイトルからも分かります。ダ・ヴィンチの精緻なスケッチは、文字による説明以上の情報伝達力を持っています。

技術的には、遠近法の活用が特徴です。視点を右上に設定することで、機械全体と部品の関係を明確に表現しています。

遠近法の導入は、機械設計を学問として確立する上で重要な役割を果たしました。フランチェスコら技術者・芸術家の貢献は大きいです。

このスケッチは、ダ・ヴィンチがフランチェスコの革新表現を学び、発展させようとした証です。彼の技術図面の表現力を高める探求の出発点といえるでしょう。

凹面鏡研磨機

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

この手稿は、フィレンツェ時代のダ・ヴィンチの幅広い関心を示す作品です。凹面鏡研磨機、製粉機、オーブンなど、様々な装置が描かれています。

この時期のダ・ヴィンチは、伝統的な手法で研究していましたが、このスケッチには、後の理論的な機械設計の萌芽が見られます。

左上の凹面鏡製造装置は、ダ・ヴィンチが修行したヴェロッキオ工房で使われていた技術が基になっており、光学研究の成果が表れています。

この研磨機は、既存の技術に改良を加えたものです。

ダ・ヴィンチは、放物面の焦点の光学的特性を理解し、光学と遠近法の原理を凹面鏡製造に応用しようとしました。

この研究は、機械設計を科学的な営みとして確立しようとする試みであり、近代工学の基礎を築く一歩となりました。

また、精密な凹面鏡の製造技術は、望遠鏡などの光学機器の発展に貢献しました。

式典の装置

自走車

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

このスケッチは、フィレンツェ時代のダ・ヴィンチが描いた革新的な機械設計です。乗り物としての車というより、舞台装置として作られたという説が濃厚です。

完成された設計図というより、アイデアの展開過程を示すもので、ダ・ヴィンチの視覚的思考の特徴が表れています。

このスケッチは「工房」的な文脈を強く反映しており、部品の配置や組み合わせが実際の組立作業を説明するかのようです。

技術的には、推進機構の研究として解釈できます。ダ・ヴィンチは、大砲の機動性向上などの課題に応えて、革新的な車輪配置や駆動機構を考案しました。

初期の研究では、車輪と小歯車による駆動機構がありましたが、摩擦が問題でした。

このスケッチの自走車は、バネを動力源として採用している点で画期的です。ダ・ヴィンチは後にバネの特性を研究し、飛行機械にも応用しました。前方にはハンドルがついており、操縦することを想定しています。

この自走車の研究は、エネルギーの蓄積と変換という現代的な課題にも通じる先見性を持っています。

さらに、当時の工学的知識を統合し、機械要素の組み合わせ、力の伝達、運動の制御といった課題への解決策を示しています。

『オルフェウス』の舞台装置

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダ・ヴィンチは舞台演出家としても才能を発揮し、様々な宮廷で重用されました。しかし、舞台装置は残りづらく、その才能を示す証拠は多くが失われています。

現存する貴重な資料の一つに、ギリシア神話『オルフェウス』の舞台装置に関するものがあります。これはダ・ヴィンチが2度目にミラノに滞在していた時期に上演されました。

舞台装置の記録は、アランデル手稿、アトランティコ手稿、そして近年発見された個人蔵の資料に残されています。

これらの資料から、ダ・ヴィンチは「自然」と「動き」を重視した革新的な舞台を構想していたことが分かります。

当時の演劇では都市風景を背景とした静的な舞台が主流でしたが、『オルフェウス』は自然景観を背景に、ダイナミックな場面転換を特徴としていました。

特に冥界の場面は、悪魔や死神、炎などを用いた劇的な演出で、1490年にマントヴァで上演された作品と共通点があります。

この舞台装置は、自然景観の再現技術と劇的な場面転換の機構において、当時としては極めて革新的でした。ダ・ヴィンチの機械工学の知識が舞台芸術に応用された好例といえるでしょう。

歯車、滑車、ロープ、ボールベアリングを用いた装置を用いて、山を切り開き、冥界の王プルートを登場させる仕掛けを考案しました。さらに、釣り合いの重りと巻き上げ機、ロープを用いたエレベーターによって、プルートは地面の底から突然舞台に躍り上がる仕掛けで観劇する方を驚かせたことでしょう。実際にアトランティコ手稿にはこのような記述があります。

「Bが下がり、Aが上がると、プルートはHに出る」

「プルートはの楽園が開くと、悪魔たちは、恐ろしい声を上げ、十二個の壺を鳴らしている。そこには死神、エリニュエス、ケルベロスがおり、たくさんの裸の天使たちは泣いている。そこには様々な色の炎がある」

楽器

獣頭のリラ

出典:アシュバーナム手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

アシュバーナム手稿にある楽器スケッチの中で、獣頭のリラのスケッチは、ダ・ヴィンチのミラノ移住と深く関わっています。

1482年、ダ・ヴィンチはフィレンツェ領主の命で、音楽家と共にミラノに派遣されました。

フィレンツェ領主は、ミラノ領主への贈り物として、ダ・ヴィンチが作った銀製の獣頭のリラを選びました。

ダ・ヴィンチはミラノ宮廷で、リラ・ダ・ブラッチョという楽器を演奏しました。この楽器は、当時流行していた詩の即興伴奏によく使われました。

ルネサンス期において、即興詩の朗詠は古代ギリシャの伝統を再評価するもので、古典文化復興の象徴でした。

獣頭の形状は、音響効果にも影響を与える可能性があり、ダ・ヴィンチは美しさと機能性を両立させようとしたと考えられます。

さらに、このリラの設計は、ダ・ヴィンチの解剖学研究との関連も示唆しており、芸術と科学の融合という彼の特徴がよく表れています。

自動演奏太鼓

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダ・ヴィンチは、多くの楽器研究の中でも、特に打楽器の研究に力を入れていました。

彼の打楽器研究の目標は、音色の多様化と演奏の自動化でした。アトランティコ手稿のスケッチは、自動演奏に焦点を当てています。

16世紀は西洋楽器の発展期でしたが、当時の楽器論では打楽器は軽視されていました。

しかし、ダ・ヴィンチは打楽器を舞台演出、見世物、軍事技術の一環として研究していました。自動演奏太鼓も、主に軍事目的で設計されたと考えられています。

技術的には、赤チョークとインクで描かれた未完成のスケッチです。戦場を想定した力強い太鼓の音を想像しながら描かれたようです。

この研究は、自動演奏機構、音量制御、耐久性において革新的でした。

さらに、この自動演奏太鼓は、音響工学の歴史においても重要な意味を持ち、後の自動演奏楽器や音響機器に影響を与えた可能性があります。

また、戦場での信号伝達手段としても、重要な戦術的価値を持っていたと考えられます。

ヴィオラ・オルガニスタ

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

この手稿は、ダ・ヴィンチが赤チョークと赤鉛筆を使って描いた技術図面です。

鉛筆を使うことで、ダ・ヴィンチの表現はより柔らかくなり、複雑な陰影を描けるようになりました。

このヴィオラ・オルガニスタの研究は、ダ・ヴィンチの表現技法が変化していく時期の特徴を示しています。

ヴィオラ・オルガニスタは、機械仕掛けで弦を振動させて音を出す楽器です。ダ・ヴィンチは音量や音色の制御に挑戦しました。

この手稿は、ダ・ヴィンチが機械設計の基礎理論を研究していた1490年代の作品です。

ヴィオラ・オルガニスタの設計は、機械要素の活用、音響制御の機械化、人間工学的配慮において革新的でした。

ダ・ヴィンチは、この設計手法を自動人形や飛行機にも応用しました。

さらに、この研究は、後の自動オルガンやピアノなどの機械式楽器の発展に影響を与えた可能性があります。

その他の発明

時計

出典:マドリッド手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

ダ・ヴィンチは時計も発明していたと聞くと驚かれるかもしれません。

ダ・ヴィンチにとって時間とは、「何かを消費するもの」(アトランティコ手稿)でした。

実際に、修道院の塔に設置された時計を調査したことが記されている。

そして、時間の測定機能を向上させるために、ルネサンスの最先端技術出会ったばねを用いた時計のメカニズムについて熱心に研究をしています。

手稿には、時計の外観がわかるスケッチは残されていませんが、生活がより豊かになるための日用品の開発もしていたのです。

距離計

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

このスケッチは、ダ・ヴィンチのプレゼンテーション用作品の中でも特に完成度が高く、出版を意図していた可能性があります。

ダ・ヴィンチは当時の印刷技術に不満を持っていましたが、この距離計は特定のパトロンへの提示目的だったとも考えられます。実際に、ダ・ヴィンチはトスカーナとキアーナ渓谷の地図を作成しています。

スケッチには制作過程の痕跡が残されています。右側の歩数計は後から追加されたと考えられます。

距離計のスケッチでは、線影とインクウォッシュが効果的に使われ、装置の立体感と機能性が表現されています。

この装置は、車輪の回転数から距離を計測する画期的なものでした。歯車の周りには穴があいており、丸い球が一定の間隔で流れて下に設置された容器に落ちる仕掛けになっています。作業者は、その球を数えて、車輪の円周を知れば、単純な計算によって正確な距離を割り出すことができます。

運搬車への搭載を想定した設計は、移動しながらの測定を可能にする実用的なものでした。

また、この研究は、近代科学の基礎となる数値計測の発展に貢献しました。

距離計のスケッチは、技術史的な価値に加えて、科学的測定技術の発展を示す重要な資料です。

アルキメデスの螺旋ポンプ

出典:アトランティコ手稿 レオナルド・ダ・ヴィンチ

あらゆる発明をしているダ・ヴィンチですが、尊敬していた科学者がいました。

それはギリシャ人のアルキメデスで、古代で最も天才的な発明家と見なしていました。

ダ・ヴィンチの手稿には、何度もアルキメデスが登場します。

そして、アルキメデスの螺旋ポンプを水力学分野に具体的に応用し、多様化することに興味を持っていました。

この螺旋ポンプを使用することで、人の労力に頼ることなく、ポンプの回転運動によって井戸の底から水を汲み上げることができます。これは都市部の水力供給のみならず、沼地の干拓にも役立ちました。

天才も天才から学び、次の時代へと継承していたのです。

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