失われた絵画「レダと白鳥」
レオナルド・ダ・ヴィンチが制作した『レダと白鳥』は、時代の流れの中で完全に失われてしまいました。
しかし、現存する弟子たちの模写、そしてダ・ヴィンチ自身が残した数々のスケッチが残っており、この作品がどのような姿であったのか、美術史家や愛好家たちの想像力を掻き立て続けています。
今回は、この謎に満ちた傑作『レダと白鳥』について、多方面から詳しく解説していきます。
『レダと白鳥』の神話を知ることで、ダ・ヴィンチの思考を知ることができます。
天才の思考の跡:レオナルドの準備習作
レオナルド・ダ・ヴィンチが『レダと白鳥』を描いていたのは、『モナ・リザ』や壁画『アンギアーリの戦い』といった大作に取り組んでいた時期です。
彼はミラノの居城スフォルツェスコ城の堀にいた白鳥を実際に観察し、多くのスケッチを残しました。
ダ・ヴィンチはこの主題のために、“ひざまずくレダ”と“立つレダ”の2つの異なる構図を考案しています。
この構図の変遷は、単なる表現方法の違いを超えて、彼の芸術的な思考の発展を示す重要な手がかりとなっています。
「ひざまずくレダ」の習作
ダ・ヴィンチが最初に構想したのは、レダがひざまずくポーズでした。この構図に関する習作は、彼の芸術的発想の源泉を示しています。
チャッツワース版(デヴォンシャー・コレクション)では、1503-1507年頃、黒チョーク下描きの上にペン、インク、淡彩で描かれています。レダがガマやオオアマナといった植物の中でひざまずく姿が描かれており、その蛇のような曲線を描くポーズは、1506年に発見された古代彫刻「ラオコーン像群」から影響を受けた可能性が指摘されています。レダの体のひねりや白鳥の首の曲線が、ラオコーン像の蛇の動きと比較されているのです。

ロッテルダム版(ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館)も同時期に制作され、黒チョーク、ペン、インクで描かれています。チャッツワース版と技術的、様式的に非常に類似しており、ひざまずく裸体のレダ、白鳥、孵化した赤ん坊、そして特定の植物が描かれています。近年の科学調査(偽色赤外線リフレクトグラフィー)により、腐食性の没食子インクが使用された可能性が示唆されており、これが素描に見られる劣化の一因と考えられています。

ウィンザー城版(ロイヤル・コレクション)では、1503-1507年頃、黒チョーク、ペン、インクで描かれた馬の習作(おそらく『アンギアーリの戦い』のため)の横に、枠で囲まれた小さなひざまずくレダのスケッチが2点描かれており、初期の構想段階を示唆しています。

これらの習作に描かれた植物(オオアマナ、ガマ、アネモネなど)は、単なる背景ではありません。
レオナルドの植物学への深い関心と、神話のテーマである豊穣や生命のサイクルを結びつける意図的な要素であったと考えられます。
彼の自然観察、特に植物学の研究が、神話的場面にリアリティと象徴的な深みを与えるために、直接的に芸術作品へと統合されているのです。
実際に、これらのレダの習作がレオナルドの植物学への関心を刺激したとも言われています。
「立つレダ」のための習作と髪型への執着
構想が進むにつれて、ダ・ヴィンチはレダを立たせる構図へと変更していきます。この新しい構図に関する習作では、驚くべき特徴が現れます。
ウィンザー城、ロイヤル・ライブラリー(複数)として知られる一連の素描は、1505-1508年頃に制作され、黒チョーク、ペン、インクで描かれています。

これらの習作でダ・ヴィンチが最も注力したのは、レダの顔の表情ではなく、三つ編み、コイル状の巻き毛、組み紐といった驚くほど複雑に編み込まれた髪型でした。
レダの表情は、しばしば控えめに伏し目がちに描かれるのみで、一部の素描では顔の部分の質が低く、ダ・ヴィンチ自身が空白のまま残し、後に弟子が描き加えた可能性も指摘されています。
スフォルツァ城版には赤チョークで描かれた頭部習作もありますが、これについてはダ・ヴィンチ作とする説、ソドマやジャンピエトリーノなど弟子作とする説があり、帰属論争が続いています。
この髪型への異常なまでの執着は、単なる装飾的な関心を超えて、ダ・ヴィンチの芸術と科学に通底する思考様式を反映しているのかもしれません。
複雑なパターン、結び目、渦巻き模様への彼の関心は、水流の研究や機械設計の素描にも見られます。
髪型を、ある種の抽象的なデザインの問題、あるいは最高の素描技術の披露の場として捉えていた可能性があります。
これは、形態を分析的に理解し、それを二次元で再構成しようとする、彼の科学者・技術者としての側面が、芸術制作にも表れていることを示唆しています。
同時代への影響:ラファエロによる模写
若き日のラファエロが、ダ・ヴィンチの“立つレダ”の(失われた)カルトン(原寸大下絵)か習作を見て描いたとされる素描(ウィンザー城、ロイヤル・コレクション)も重要な資料です。これは、ダ・ヴィンチの構想が同時代の最も才能ある芸術家たちに与えた衝撃と影響の大きさを物語っています。

ギリシャ神話 レダと白鳥の神話の物語
この物語の主役は、スパルタの美しい王妃レダです。
神々の王であるゼウスは、レダの美しさに心を奪われました。
ゼウスは妻ヘラの目を逃れ、レダに近づこうと計画します。
そして、彼女の警戒心を解くため、純白の美しい白鳥の姿に変身しました。
神との交わり
ゼウスは、鷲に追われるふりをするなど、巧みにレダのもとへ近づきます。
レダは白鳥を哀れに思い、その体を優しく抱きかかえました。
ゼウスはこの機会を逃さず、白鳥の姿のままレダと交わったのです。
この出来事が合意の上だったか否か、神話の解釈は分かれています。
神と人間の間の、力の不均衡を象徴する物語とも言われています。
そして子どもが生まれるのです。
神話の英雄たちの誕生
その後、レダは1つ、あるいは2つの卵を産んだとされています。
その卵からは、4人の子供たちが誕生しました。
1人は、トロイア戦争の原因となる絶世の美女「ヘレネ」。
2人目は、ミュケナイ王の妻となる「クリュタイメストラ」。
そして、双子の英雄「カストル」と「ポリュデウケス」です。
このドラマチックな物語は、ダ・ヴィンチをはじめ多くの芸術家を魅了しました。
現存する「レダ」の模写
ダ・ヴィンチの準備習作から構想の変遷を読み取れる一方で、実際の完成作品の全体像を私たちに伝えてくれるのは、ダ・ヴィンチの工房に出入りした弟子や追随者たちが制作した模写です。
これらは失われた『レダと白鳥』を知るための貴重な遺産となっています。
ダ・ヴィンチの工房と弟子たち
ダ・ヴィンチの工房には、フランチェスコ・メルツィ、サライ(ジャン・ジャコモ・カプロッティ)、ジャンピエトリーノ(ジョヴァンニ・ピエトロ・リッツォーリ)、ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオ、マルコ・ドッジョーノといった直系の弟子たちがいました。
また、チェーザレ・ダ・セストやアンドレア・ソラーリオのように、工房との関係性は明確ではないものの、強い影響を受けた画家たちもいます。
これらの画家たちは総称してレオナルデスキと呼ばれており、サライについては、芸術家としての弟子というよりは、召使いや模倣者としての側面が強いという見方もあります。
主要な「立つレダ」の模写作品
これらの弟子たちよる模写の中でも、特に重要とされる作例をご紹介します。
チェーザレ・ダ・セスト作(ウィルトン・ハウス、英国ソールズベリー)は、1515-1520年頃に油彩、カンヴァスで制作されました。失われたダ・ヴィンチの原作に最も忠実な模写の一つと広く考えられており、特にレダの頭部の描写は、ダ・ヴィンチ自身によるウィンザー城の習作との類似性が指摘されています。チェーザレ・ダ・セストは、ダ・ヴィンチ工房にいた可能性、あるいは少なくとも強い影響下にあったと考えられています。

『スピリドン・レダ』(ウフィツィ美術館、フィレンツェ)は、1505-1515年頃に油彩と樹脂、板で制作されました。制作者については、工房の助手、あるいはレオナルドの最も近しい弟子であり遺産相続人でもあったフランチェスコ・メルツィの作とする説が有力です。並外れた品質と良好な保存状態で知られており、第二次大戦中にナチスのヘルマン・ゲーリングに略奪されましたが、戦後に回収されました。ボルゲーゼ美術館版、ウィルトン・ハウス版と並び、原作に最も近い三大模写の一つとされています。現在は、イタリアのウフィツィ美術館に所蔵されていますが、スピリドン侯爵が所持していたことから、このような名称がつけられています。

ボルゲーゼ美術館版(ボルゲーゼ美術館、ローマ)は、テンペラ、板で制作されています。
かつてはレオナルド作とされていましたが、現在は重要な模写と見なされています。制作者の帰属は、ソドマ(ジョヴァンニ・アントニオ・バッツィ)、メルツィ、ブジャルディーニ、バッキアッカなど諸説あります。制作年代は1517年以前、レオナルドのローマ滞在中(1514-1517年)と考えられています。X線調査により、当初4人もしくは6人などより多くの子供が描かれていたことが判明しており、他の模写と比較して、暗い輪郭線が少なく、より柔らかく輝きのある様式、そして広がりを感じさせる風景描写が特徴とされます。

ジャンピエトリーノのレダ
レオナルドの弟子として記録が残るジャンピエトリーノ(ジョヴァンニ・ピエトロ・リッツォーリ)に関連する作品も複数存在し、レダのモチーフがいかに様々な形で展開されたかを示しています。
「レダと白鳥」(旧ヘイスティングズ侯爵コレクション、現ギブス・コレクション、ロンドン?)はジャンピエトリーノ作とされる“立つレダ”の模写です。

その他の重要な模写作品
フィラデルフィア美術館版(フィラデルフィア美術館、米国)は油彩、板で制作されており、制作者として、スペイン出身でダ・ヴィンチの影響を受けたフェルナンド・イェーネス・デ・ラ・アルメディナの名が挙げられています。

背景の風景描写がややオランダ絵画風であり、ダ・ヴィンチのオリジナルから逸脱している可能性や、人物と風景を別の画家が分担した可能性が指摘されています。
その他にも、ニューオーリンズ美術館の「ヴィーナスとキューピッド」、現在は所在不明の『腰布のレダ』、ルーヴル美術館所蔵の素描による模写など、数多くの模写やヴァリアントが存在します。
これらの作品群は、ダ・ヴィンチの『レダと白鳥』が単一の作品を超えて、ルネサンス美術に広範囲な影響を与えた重要なモチーフであったことを物語っています。
これらの模写に見られる微妙な差異は、弟子たちが単に師の作品を機械的に複製していたわけではないことを示唆しています 。
彼らはダ・ヴィンチのデザインを解釈し、自身の様式に合わせて調整したり、あるいはダ・ヴィンチ自身が構想を進化させる中で作成した、異なる段階の下絵や習作に基づいて制作していたのかもしれません。これは、単一の「完成されたオリジナル」が同一にコピーされたというよりは、ダ・ヴィンチの工房とその周辺において、より動的な伝達と解釈のプロセスが存在したことを物語っています。
また、ダ・ヴィンチの死後(1519年)、間もない1525年に作成されたサライの遺産目録において、『レダ』とされる作品が最高額の評価を受けていたという事実は 、この主題とダ・ヴィンチの名を結びつけた作品が、当時すでに高い芸術的・金銭的価値を持っていたことを裏付けています。これは、カッシアーノ・ダル・ポッツォが後にフランス王室コレクションで目撃するよりも前に、この構図がダ・ヴィンチの重要な作品として認識されていたことを示し、失われたとはいえ、彼の画業における主要な作品であったことを補強するものです。
レオナルドの解釈上の決断
ダ・ヴィンチが最終的に、神話の核心である交合の瞬間そのものではなく、その結果(孵化した子供たち)を描くことを選んだ点は極めて重要です。
これにより、焦点は潜在的に暴力的あるいは単にエロティックな瞬間から、生成、母性、そして神話がもたらす運命的な帰結へと移行します。
この選択は、他の芸術家によるより露骨な描写や初期ルネサンスの版画に見られる交合場面とは一線を画しているように思います。
子供たちを含めることで、ダ・ヴィンチは物語の全サイクルを一枚の絵に統合し、豊穣、誕生、そして結果というテーマを前面に出しました。
失われた名画『レダと白鳥』:レオナルド・ダ・ヴィンチが後世に遺したもの
この絵がどれほど衝撃的だったかは、同時代の芸術家たちの反応からも分かります。
当時、ダ・ヴィンチと並ぶトップアーティストだったラファエロでさえ、この『レダと白鳥』のスケッチを熱心に模写しています。
これは単なる練習ではなく、複雑で動きのある人物を描いたダ・ヴィンチの構図がいかに革新的で、ライバルも認めるほど魅力的だったかを示しています。
また、ダ・ヴィンチの弟子たちも師の作品を数多く模写しました。彼らの作品を通してダ・ヴィンチの画風や技術がヨーロッパ中に広まり、オリジナルが失われた今、これらの模写は彼の意図を知るための大変貴重な手がかりとなっています。
後世の芸術家たちの「お手本」に
ダ・ヴィンチの影響は同時代に留まらず、時代を超えて多くの芸術家たちの創作意欲を刺激しました。
『レダと白鳥』という神話のテーマは、ルーベンスやセザンヌといった後世の巨匠たちも描いていますが、その際、ダ・ヴィンチの作品は重要な「お手本」の一つとなったのです。
では、ダ・ヴィンチの『レダと白鳥』は何が特別だったのでしょうか。それは、神話の物語の始まりから結末までを一枚の絵に見事に凝縮した斬新な構図、解剖学の知識に基づいたリアルで官能的な人体表現、そして人物だけでなく背景の自然も科学的な観察眼で細部まで描き込み、物語の世界に深い奥行きを与えた点にありました。
後世の芸術家たちは、このように確立されたダ・ヴィンチのイメージを参考にし、時には忠実に、時にはあえて反発することで、自分自身の新しい表現を生み出していったのです。
失われたからこそ輝く、名画の魅力
最終的に、ダ・ヴィンチが描いた『レダと白鳥』のオリジナルは、どこにもありません。その行方が謎に包まれていることは、かえってこの作品のミステリアスな魅力を高めています。
『レダと白鳥』は、たとえ見つからなくとも、美術史の中で確かな輝きを放ち続けています。
なぜなら神話、科学、芸術が詰まった“見えない傑作”だからです。
レダと白鳥の独自性
ダ・ヴィンチの真筆の作品が残っていないため、その独自性を語ることは適切ではないかもしれません。
しかし、多くの模写作品からわかるように、そこにはダ・ヴィンチならではのこだわりが感じられます。
レダに見られる髪の毛のうねりは、ダ・ヴィンチが熱心に観察していた水の渦との共通項が見出せます。
母親であるレダと生まれたばかりの赤ちゃんとの視線の交差にドラマ性を感じます。
レダが白鳥を抱え、白鳥がレダの腰に羽を回している仕草には、官能性が表現されています。
そして、植物の描写には、ダ・ヴィンチの自然愛があったはずです。
人間と動物の交わりを表現することは、当時のキリスト教会にとってセンセーショナルな内容で、
その過激さが作品の消滅につながった可能性があります。
ダ・ヴィンチの『レダと白鳥』ほど世間を騒がせ、攻めた作品は他になかったのではないでしょうか。
ぜひ、下絵や模写作品からダ・ヴィンチらしさを感じ取ってみてください。