1519年、フランスで亡くなったレオナルド・ダ・ヴィンチ。彼が最期まで手元に置いていた絵画がありました。それが「聖アンナと聖母子」です。
なぜこの作品だけは、彼は誰にも渡そうとしなかったのでしょうか?
「聖アンナと聖母子」の作品データ
「聖アンナと聖母子」のデータついて、以下のようにまとめました。
- 作者: レオナルド・ダ・ヴィンチ
- 制作年: 約1503年~1519年
- 画材: 油彩、板
- サイズ: 168 cm × 112 cm
- 所蔵: ルーヴル美術館(フランス・パリ)
現在ではモナリザと同じルーブル美術館にありますが、当時は最後までダ・ヴィンチは手元に置いて加筆し続けました。
そもそもまず「聖アンナと聖母子」の依頼主はいなかったのでしょうか?
謎だらけの誕生秘話
この絵の注文主は、実は今でも分かっていません。
しかし有力な説が2つあります。
説1:フィレンツェの教会説
1501年頃、フィレンツェの教会が祭壇画として注文したという説。美術史家ヴァザーリによれば、レオナルドの下絵があまりに素晴らしくて、フィレンツェ中の人が見物に押し寄せたそうです。
説2:フランス王室説
フランス国王ルイ12世が、娘の誕生を祝って注文したという説。聖アンナはフランス王家の守護聖人でした。
どちらの説が正しいのか、今もって結論は出ていません。
しかし、最も重要なことは、ダ・ヴィンチがこの絵を誰にも渡さず、1519年に亡くなるまで手元に置き、約16年間という長期の間、何度も手直しを続けたことです。
注文主の意向から解放されたこの絵は、ダ・ヴィンチにとって、自らのアイデアを試すための「究極の実験室」となったのでしょう。
完璧主義者たるダ・ヴィンチの周年が垣間見えます。
この絵画にはどのような技法が用いられているのでしょうか。
革新的な表現技法の秘密
この絵画には、主に3つの技法が使われています。
1. 生きているピラミッド構図
聖アンナ、聖母マリア、そしてキリストの三人が、美しいピラミッド型に配置されています。これにより画面に安定感が生まれる一方、聖母が身をひねり、キリストが子羊に手を伸ばす動きが、生き生きとした躍動感を与えています。
静と動が共存するという書き方をしているのです。
2. 煙のような神秘性—スフマート技法
「煙のような」という意味のスフマートは、色の境目を煙のようにぼかして、柔らかな雰囲気を生み出す技法。『モナ・リザ』の謎めいた微笑みの秘密も、このテクニックにあります。本作でも、聖アンナと聖母の表情は優しくも曖昧で、彼女たちの奥深い内面を暗示しているようです。
3. 無限の奥行き—空気遠近法
この絵の背景の山々を見てください。
遠くにあるものほど青く、かすんで描かれていますよね。
これは、間にある「空気」の効果を科学的に再現した空気遠近法というテクニックです。
これにより、まるで神話の世界のような、どこまでも広がる雄大な空間が生み出されています。
これらの技法はバラバラではなく、一体となって「神聖な出来事を、リアルな世界に表現する」というダ・ヴィンチの目的を見事に達成しているのです。
素晴らしい技法を用いつつ、ダ・ヴィンチはこの絵に深いメッセージを込めていると考えられています。
隠された心理ドラマ
この絵の真の主題は、穏やかな家族の情景ではありません。
そこには深い心理的な緊張があります。
母、娘、孫
聖アンナの膝の上に聖母マリアが座る、という構図は極めて異例です。
これは、旧約の時代(聖アンナ)から新しい恩恵の時代(聖母マリア)が生まれた、という世代の継承を象徴的に表していると考えられています。
子羊が象徴する「運命」
物語の中心は、マリアの手をすり抜け、子羊を抱きしめようとする幼いキリストです。
この子羊は、キリストが将来、人々の罪を背負って犠牲になる「神の子羊」としての運命を象徴しています。
我が子のつらい未来を予感し、思わず引き止めようとする母マリア。その一方で、すべてを受け入れるかのように穏やかに微笑む祖母の聖アンナ。
三人の視線と仕草が交錯し、「母性愛」と「神の意志」の間の静かなドラマが描かれているのです。
2つのバージョンの謎
実は、このルーヴル版の絵より前に描かれた、もう一つのバージョンが存在します。ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵する、木炭で描かれた大きな下絵(カルトン)です。
二つの作品の最大の違いは、登場人物です。
- ルーヴル版(絵画):キリストは子羊を抱こうとしている。
- ロンドン版(下絵):キリストは、いとこの洗礼者ヨハネと交流している。
なぜダ・ヴィンチは登場人物を変更したのでしょうか?
ロンドン版が「聖なる子どもたちの出会い」という物語的な場面なのに対し、ルーヴル版は「キリストの犠牲」という、より象徴的で深い神学的テーマを扱っています。
ダ・ヴィンチは、物語的な説明を削ぎ落とし、より普遍的で心に訴えかける表現へと、アイデアを昇華させていったのです。
ダ・ヴィンチの書き方は、後に多くの芸術家に影響を与えています。
「聖アンナと聖母子」の大きな影響力
この作品の革新的な構図は、同時代の芸術家たちに衝撃を与えました。
特に、若き天才ラファエロは、ダ・ヴィンチのアイデアをすぐさま吸収。彼が描いた多くの聖母子像に、この絵のピラミッド構図や、愛情あふれる人物描写の影響がはっきりと見て取れます。
ダ・ヴィンチが生み出したスタイルは、ラファエロを通じてルネサンス美術の「黄金律」となり、後世の画家たちのお手本となったのです。
まさにこの絵は、ダ・ヴィンチにとっての集大成(終着点)であると同時に、西洋美術史における新たな時代の幕開け(出発点)にもなったのです。
「聖アンナと聖母子」の絵から、ダ・ヴィンチの心理へ深く迫ろうとしたのが、精神分析学の父・フロイトでした。
フロイトの大誤解
1910年、フロイトがこの絵について衝撃的な論文を発表しました。
彼は論文の中で、「この絵は、ダ・ヴィンチが二人の母(実母と継母)に育てられた複雑な幼少期を反映している」と分析したのです。
その根拠となったのが、ダ・ヴィンチが書き残した「揺りかごにいた時、一羽の鳥が舞い降りてきた」という記憶です。フロイトはこの鳥を「ハゲワシ」だと解釈し、壮大な理論を構築しました。
しかし、ここには致命的な誤訳がありました。ダ・ヴィンチがイタリア語で記した鳥は「nibbio(トビ)」であり、「avvoltoio(ハゲワシ)」ではなかったのです!この誤訳によって、フロイトの説はその根拠の大部分を失ってしまいました。
さらに、後にフロイトの支持者が「聖母の服のひだにハゲワシが隠されている!」と大発見したこともありましたが、現在ではランダムな形の中に意味を見出してしまう「目の錯覚(パレイドリア)」の一種だと考えられています。
このエピソードは、美術史の解釈の面白さと危うさを教えてくれます。
その後、近年になりダ・ヴィンチの絵は修復されましたが、ここでまた論争が起きています。
2012年の大論争—修復か破壊か
2011-2012年、ルーヴル美術館がこの絵の大規模修復を実施しました。何世紀もの汚れと変色したニスを除去した結果、驚くほど鮮やかな色彩が現れました。
しかし、これが国際的な大論争を引き起こしました
支持派:レオナルドの真の色彩が明らかになった
批判派:修復しすぎて、レオナルドが最後に施した繊細な仕上げまで削り取ってしまった
この論争は非常に激しく、抗議のため諮問委員会を辞任する専門家まで現れました。
この一件は、「美術品の修復とは、一体どこを目指すべきなのか?」という、私たちに根本的な問いを投げかけています。
想像上の「オリジナル」状態なのか?
絵画の歴史・色彩の変化そのものが作品のアイデンティティなのか?
ダ・ヴィンチの絵は常にあらゆる分野で、関心が持たれているのです。
「未完」の傑作
『聖アンナと聖母子』は、その「未完成」な状態ゆえに、私たちに無限の問いを投げかけてきます。それは技術の頂点であり、深い神学の物語であり、心理分析の対象であり、そして修復をめぐる論争の的でもあります。
この絵は、芸術と科学、そして人間精神の謎を結びつけようとしたダ・ヴィンチの、尽きることのない探究心の結晶です。
ルーヴル美術館を訪れる機会があれば、モナ・リザの人込みを避けて、この静かな名画の前に立ち、500年前の天才が込めた想いを感じ取ってください。